映画・テレビ

2017年10月30日 (月)

ブレードランナー 2049

■映画「ブレードランナー 2049」 日本橋 TOHOシネマズ

けっこう前から予告編を見ていて楽しみにしていた作品。たまたま時間がとれたというのもあるけど、公開初日に劇場に足を運ぶことになった。平日(金曜)夕方ながらお客さん多めだったね。

ストーリーはこんな感じ。
「2049年、荒廃と貧困が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない『レプリカント』が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。LA市警のブレードランナー“K”(R・ゴズリング)は、ある事件を捜査するうち、レプリカント開発を独占するぐウォレス社の巨大な陰謀を知り、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く…。」(公式サイトより)

SF映画の名作「ブレードランナー」。その35年ぶりの続編となる作品である。前作も公開時に劇場で見ているものの、オタク的にハマっていたわけではないから、その後はテレビ放映時にもう1回見たくらいだろうか。あまり細かくは覚えてはいない状態。そんなわけで、前作と本作をつなぐ3本の公式動画(「2022」「2036」「2048」)を見るなど、多少の予習をして臨んだのだった。

結論からいえばかなり好きな仕上がり。2時間43分という長尺が苦にならずに最後まで惹きつけられた。もともと「ブレードランナー」という作品自体、ストーリーそのもののおもしろさで勝負するというよりも、一場面一場面の雰囲気やSF的パースペクティヴの魅力…といったものに重きを置く映画だったように思っているのだが、本作もそのノリは引き継いでいるのではないだろうか。どのシーンも印象的で、SF映画らしい名場面、そして素晴らしい映像の連続である。殺伐とした風景の中に「荒廃の美」とでもいうべきものがあふれている。大いに酔わされた。

物語をざっくり表すならば、前作の主人公だったデッカードとレイチェルの「その後」を、30年後のブレードランナー「K」が解き明かしていくというもの。本作では「K」自身がレプリカントであることは映画が始まるとすぐにわかる。そして、わりと早い段階で「K」とデッカードの関係性も暗示されるものの、「はは~、さては…」とストーリーの先を予想できたつもりになっていると見事にどんでん返しをくらう。その結果、「記憶すらも自分のものでないレプリカントである自分とは何なのか」という、まさに「ブレードランナー世界」ならではの問いの重さに満たされる結末が訪れる…。

現実にレプリカントというものが存在せず、他人に記憶を移植された経験もないわれわれにとって、この問いは自分の身に置き換えて考えることがほぼできないものだ。また、何か実際の社会問題を直接的に反映させた比喩といったものでもなさそうである。しかし、本作を見ていると、「もしそういう立場に置かれたら…」と考えて、われわれはさまざまな思いをめぐらせ、感情にひたる体験をしてしまう。SFの「S」は一般的にはサイエンスであるが、本作では同時にそれが「スペキュレイティブ」でもあるということを改めて実感させられる作品だと思った。

ここからは、見終わって感じたことをいくつかメモ。

タイトルの「2049」は当然、西暦2049年のことなのだが、実際にその年になっても本作で描かれているような世界が現実となることはほぼなさそうである。そもそも前作が2019年を舞台にしており、最初のレプリカントが製造されたのが2017年(!)なのだから、無理に決まっているのだ。あと100年か200年後でもどうか…というくらいだが、ここは割り切って「どこか別の世界の2049年」と考えるのが妥当というものだろう。

そして、ブレードランナーといえば…の「雨に打たれるスラム化した未来都市」描写。前作公開当時は非常に新鮮だったのだが、その後あまりにも影響力が大きかったため、いつしか未来都市の風景の定番と化してしまった。本作でも本家ならではの映像が楽しめるが、できれば「あれから30年たってさらにこうなりました」という新たなビジョンを見せてくれたら最高だったかもしれない。

「スターウォーズ」に続いて往年の名作に同じ役で出演のハリソン・フォードが話題だが、個人的には少し前に見た「スクランブル」にヒロイン役で出ていたアナ・デ・アルマスにも注目していた。役はレプリカントではなく、主人公がガールフレンドがわりにしているバーチャル・キャラクター。良かったね~。欲しくなった人も多かったのではないだろうか。ただ、あれくらいの技術があるならキャラのルックスもスキンで自由に変えられて当然だろう。デフォルトのままで使っていた「K」はあまりオタク気質がなかったということなのか? それともレプリカントだから「女性の好み」という概念がそもそもなかったのか? たぶん後者という設定なのかな…。

というわけで、すべてが完璧というわけではないけど、場面毎にあれこれと語りたい要素が盛り込まれている本作。リピート鑑賞してもそのたびに新しい発見がありそうな気がする。

(ウォレス社のシーンはまさに神殿。神の領域という意味なのか…)
Br2049

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2017年10月22日 (日)

バリー・シール/アメリカをはめた男

■映画「バリー・シール/アメリカをはめた男」 錦糸町 TOHOシネマズ

劇場でよく予告編を見た作品。公開初日に行ったのだけど、ものすごく期待していたからというわけではなく、単に日程の関係でその日がいちばん都合がよかったので…。

ストーリーはこんな感じ。
「民間航空会社のパイロットでトップクラスの操縦技術を持つバリー・シール(トム・クルーズ)は、CIAにスカウトされる。偵察機のパイロットとなった彼は極秘作戦の過程で麻薬組織と接触、麻薬の運び屋としても才能を発揮する。政府の命令に従う一方で、違法な密輸ビジネスで荒稼ぎするバリーだったが…。」(シネマトゥデイ)

これも「実話もの」映画。近年の洋画は本当に実話ものの企画が多いのだけど、古今東西のすべてが材料になるということで、おもしろいネタはまだまだ尽きないようだ。

本作も、題材になったバリー・シールという人物自体に関する予備知識はまったくなかったのだが、息をもつかせぬスピーディーな展開で最後まで一気に見せられてしまう。予告編などで強調されていたアクションコメディ的なノリはもちろんあるのだが、同時にけっこう骨太な社会派映画としての筋もしっかり通していて、なかなかあなどれない。おもしろさと奥の深さを兼ね備えた佳作ではないだろうか。

映画の冒頭、大手航空会社の旅客機パイロットである主人公、バリー・シールが飛行中にいきなり自動操縦装置を切り、機体を急降下させるエピソードが出てくる。客室では酸素マスクは降りてくるわ、乗客は悲鳴をあげるわで一騒動だ。しかし、バリーは飛行機をすぐにもとの状態に戻すと、「乱気流でした、もう安心です」とシレッと機内放送をする。
つまり普通の人ならやらないようなこと、ルール上してはいけないこともちょっとしたイタズラ心で抵抗なくできてしまう人物…それがバリーなのだ。罪悪感もなく、一種のサイコパスといってもいいかもしれない。この最初のエピソードが後々のとんでもない物語すべての伏線になっていく。非常に印象的な導入部分である。

そんな大胆な性格だから、CIAにパイロットとしての腕を見込まれて仕事を依頼されると、危険な任務もバリバリこなす。対空砲で撃墜されそうになっても全然平気。普通なら「もうやりたくない!」となるところだが…。どこか頭のネジがはずれているのだろう。なおかつ、任務先の南米で麻薬カルテルと知り合いになると、そっちの密輸の仕事もホイホイ手伝ってしまう。やがて、自宅には収納しきれないほどの札束があふれ…。

もちろん、CIAもバリーの「内職」は知っているが目をつぶっている。CIAの仕事をしながら副業でも荒稼ぎ。そこだけ見ると、邦題サブタイトルにあるように「アメリカをはめた男」かもしれないが、CIAはそんな甘いものではない。使い勝手がいい間はいい顔をしているが、密輸がバレてバリーが危機に陥ると手のひら返しで「自己責任でしょ」となる。つまり、「アメリカをはめた男」はその瞬間に「アメリカに使い捨てられた男」になってしまうのだ。ここに至って、組織の、あるいは国家というものの非情さが見る者の心になんともいえないやりきれなさを残す。

本作を見終わってまず印象に残るのは、やはりバリー・シールという人物の破天荒さだろう。途方もない金を稼いではいたが、どうも金や権力が目的ではなかったようだ。つまるところは、冒頭の旅客機を急降下させたエピソードと同じく、イタズラ心がどこまでも暴走していっただけ…ということなのだろうが、命を落としかけるようなピンチに何度陥ってもまったく懲りないバリーの得体の知れなさは、映画的にはたしかにおもしろい。そして、トム・クルーズがこの役にものすごくハマっているのではないだろうか。

もう一つはCIAという組織のモンスターぶりだろう。同時期のCIAを題材にした実話もの映画としては『アルゴ』があるが、同じ秘密工作でも、あちらが「良いCIA」なら本作は「悪いCIA」という感じで、改めて国家による謀略って何なんだろうと考えさせられる。国のために必要だということでやっているのだろうが、本当に必要なのか?…という素朴な疑問がわいてくるのだ。アメリカのためという名目ではあるが、実際には組織の論理で世界中に戦争や危機の火種をまき散らしているだけのような…。

北米・中南米あたりの近現代史や政治の予備知識は多少あった方がわかりやすいと思うけど、作中でもけっこう説明してくれるので、難しさはまったくない。エンターテインメントとしてもとてもよく出来ているし、これが「実話」ということでさらに味わい深い映画となっている。演出のテンポ、音楽の使い方などもかなり好きだね~。期待以上の一作となった。

(いろんな飛行機が登場。飛行機好きにもこたえられないのでは?)
Bari

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2017年9月30日 (土)

スクランブル

■映画「スクランブル」 日比谷 TOHOシネマズみゆき座

シンプルな娯楽映画が見たい…という気分で。事前情報はネットで予告編をちらっと見たくらいだったかな。

ストーリーはこんな感じ。
「頭脳派の兄アンドリュー(スコット・イーストウッド)とメカニック担当の弟ギャレット(フレディ・ソープ)は、高級クラシックカーを専門に狙う強盗団。ある日、世界に2台しかない高級車を奪ったことが原因で凶悪なマフィアに目をつけられてしまう。捕らえられた兄弟は、敵対関係にある別のマフィアが所有する希少なフェラーリを1週間以内に盗むよう命じられるが…。」(シネマトゥデイ)

原題は『OVERDRIVE』。ノリは「ワイルド・スピード」シリーズのあの感じで、実際に脚本は『ワイルド・スピードX2』と同じチームが担当している。風光明媚な南フランスを舞台に、美男美女の怪盗たちが、追ってくるマフィアやインターポールを煙に巻きながら、ギミックたっぷりの手法でお宝=世界の名車を盗みまくる! BGMはイマドキ感たっぷりのクラブミュージック(EDM)。映像は名車の滑らかな曲線や光沢をまるで美女の肢体のようにフェティッシュに映し出していく…。

登場人物はほぼ全員が犯罪者。しかし、ダークな雰囲気はまったくなく、コートダジュールの陽射しのように明るい「ワル」という感じである。ルパン三世の主人公たちが全員犯罪者なのに、あまり悪者感がないのと似ているかもしれない。そんな健康的な不良たちが、カッコいい車に乗りまくり、いい女といい感じになり、仲間と一緒に危険な冒険を成功させ、さらに金まで儲けてしまう。ある意味で欧米の「チョイワルに憧れる若者たち」の夢を結晶化したような映画といえそうだ。

全体的にはスピード感もあり、見ている間は退屈しない。辛口に言うならそれだけしかない映画ともいえるが、もともとそういう作品をめざしているのだろうから、これはこれで上出来なのだろう。ご都合主義などは気にする方が野暮ということになる。難しいことは考えずにスカッと楽しんだもの勝ちだろうね。

主演のスコット・イーストウッドは、あのクリント・イーストウッドの息子。顔がなんとなく似ている。主役がすんなりハマっているように感じられるのは、やはり二世俳優ならではのオーラだろうか。

注目はその主人公の恋人役の女優、アナ・デ・アルマス。プロフィールを見るとキューバ出身で1988年生まれの29歳。しかもすでにバツイチだったりするらしいが、かわいらしい童顔で高校生役でもできそうだ。本作では水着で登場するサービスシーンもあり! そんな彼女、話題の『ブレードランナー2049』にもかなり大きな役で出演しているようだ。レプリカント役かな。そっちも非常に楽しみになってくる。ぜひ見に行きたいね。

(「ワイスピ」みたいにシリーズ化していくのだろうか?)
Over2

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2017年9月27日 (水)

ダンケルク

■映画「ダンケルク」 渋谷 TOHOシネマズ

劇場で何度も予告編を見ていた作品。評判も上々ということで。

ストーリーはこんな感じ。
「1940年、連合軍の兵士40万人は、ドイツ軍によってフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められていた。トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動。船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子らと一緒にダンケルクへ向かう。さらにイギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)も空から撤退作戦を援護する…。」(シネマトゥデイ)

戦争映画というよりも「歴史系実話もの映画」という方がしっくりきそうな作風。戦争を題材にしたアクション作品を期待すると「あれ?」という感じになるかもしれないが、個人的には好きな要素があれこれ入っていて、かなり興味深く見ることができた。

まず「ダンケルクの戦い」というものを改めて知ることができたことは大きい。日本人の場合、太平洋戦争については何かと知る機会があるのだが、同じ第二次世界大戦でもヨーロッパ戦線になるといまひとつなじみがなかったりする。私も正直いってダンケルクで大規模な撤退作戦が行われた…程度の知識しかなかった。

砂浜の海岸にずらっと並んで乗船を待つ兵隊たち。まずこの絵柄の迫力がすごい。改めて途方もない作戦だということがわかる。序盤から「イギリス兵は乗せるがフランス兵は自分たちで何とかしろ」みたいなやりとりがあったりして、事態の複雑さも垣間見えてくる。助かりたいのはみんな同じなのだが、いざとなると「まず俺を優先しろ」というエゴが出てくる。これはどこの国でも同じである。戦争がまさに極限状態だということが伝わってくる。

もう一つ、本作を通じて知ったのは、救出作戦が軍艦だけでなく、チャーターやボランティアで参加した民間の小型船多数によっても行われたということだ。遠浅の海岸に近づけない大型船よりもむしろそうした小型船の方が活躍したのだという。これは有名な史実ということだが、浅学にして今回初めて知った。民間人が危険な戦場にあえて赴くというのは非常に勇気がいることである。実話もの映画の場合、「感動秘話」を題材とすることが多いが、この民間船を大きくフィーチュアしてあったのも本作が実話もの映画っぽく感じられた要因かもしれない。

本作は一種の群集劇、ダンケルクの戦場を舞台としたグランドホテル形式の映画でもある。陸上の兵士、民間船の乗組員、イギリス海軍の将校…らとともに主要な存在となっていたのが、イギリス空軍の戦闘機パイロットだ。スピットファイアとメッサーシュミットの空中戦もたっぷり描かれていて、飛行機好きにはたまらないシーンではないだろうか。小規模ではあるが、「バトル・オブ・ブリテン」の前哨戦といった趣もある。本作はCGを極力使わずに実写にこだわっているという。最後の動力を失って滑空しながらの着陸…あたりはややCGっぽかったが、それ以外の部分は迫力あったね。

本作は、登場人物たちの「個人目線」を徹底しているのも特徴だろう。画面だけ見ていると、とても30万人以上もの兵士が撤退できたようには思えないが、要するにみんな自分のことだけで必死であって、全体を見る余裕などなかったということなのだ。その「個人目線」のせいだろうか、同じ出来事が違う人物の目、違う角度から何度も描かれるという手法がとられている。最初はややわかりにくいかな…という気もしていたのだが、そこにはバラバラに動いていた登場人物たちが最後に同じところに集まってくるという「ドラマ」がきっちり仕込まれていた。

ダンケルクは連合国にとっては「負け戦」だったが、兵員を救出・温存できたことは後日の反攻につながった。結果論かもしれないが「一歩後退する」という勇気ある決断ができたイギリスの懐の深さが最後の勝利を引き寄せたことになる。果たして日本だったら…という問いは誰でもしたくなるだろう。だが、戦争はいうに及ばず、今日の企業経営などを見ていても、うまくやれそうな気がほとんどしない。下手なのを自覚した上で歴史に学ぶことの重要性を感じさせられる映画でもある。

(季節は5~6月だったようだ。冬の海だったらもっと犠牲者が出ていただろう)
Dan

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2017年9月23日 (土)

西遊記2~妖怪の逆襲~

■映画「西遊記2~妖怪の逆襲~」 錦糸町 楽天地シネマ

公開前から行こうと思っていたのに、いろいろあって最終日に滑り込みで見ることができた。お客さんは3人ほどだったかな。

ストーリーはこんな感じ。
「孫悟空(ケニー・リン)、猪八戒(ヤン・イーウェイ)、沙悟浄(メンケ・バータル)を引き連れ天竺への旅を続ける三蔵法師(クリス・ウー)。たどりついた比丘国では、九宮真人(ヤオ・チェン)に迎えられるが、三蔵法師は常軌を逸した気分屋の国王の機嫌を損ねてしまう。困った彼は孫悟空に助けを求めるが、事態は悪化するばかりで…。」(シネマトゥデイ)

2014年公開のチャウ・シンチー監督『西遊記~はじまりのはじまり~』の続編。ただし、本作では監督がツイ・ハークに交代している(チャウ・シンチーは製作と共同脚本)。シリーズもので監督が違うというのは「スターウォーズ」などもそうなので別にいいのだが、三蔵法師や孫悟空といった主要キャストも総入れ替え…ということで、どうなんだろうか?という気はしていた。

結論からいえば「まあまあおもしろい」。三蔵が徳の高い僧侶ではなく「妖怪ハンター」だというぶっ飛び設定などはそのままなのだが、全体のノリが前作とは微妙に変わっていて、最初はそれになじむのに若干時間がかかる。また、キャストが新しくなっているので、各キャラクターの性格も少しずつ変わっており、前作を見ている人の方が序盤では違和感があるかもしれない。とりわけ、三蔵法師と孫悟空はどっちもかなりのイケメンが起用されているせいで、前作の持ち味だったオトボケ感がかなり弱まっている。

最初の蜘蛛女の館のエピソードは軽いジャブ。話に勢いが出てくるのはやはり比丘国に入ってからだろう。ヤオ・チェンの九宮真人がいい味を出している。機械仕掛けのおもちゃみたいな紅孩児との戦闘シーンは最初のクライマックスだ。ここではじめて孫悟空が本気を出すのだが、背中に4本の幟を立てて京劇さながらの効果音ととも飛び出してくるシーンは理屈抜きにアガるね!

リン・ユン演じる小善が登場してくる後半のエピソードもいいね。チャウ・シンチーの『人魚姫』でもヒロインだった彼女の可憐さが炸裂! このパートはそこが最大の見どころといってもいいだろう。ただ、孫悟空の変身シーンは、その前の紅孩児との戦いで「切り札」を切ってしまっているため、なぜか熱した巨大溶岩の塊みたいな姿になる。うーん、なんか孫悟空のイメージじゃないんだが…。とはいえ、スケール感が大きすぎてもはや何が何だかわからない戦いのシーンは迫力十分。最後は仏さまが出てきて…というのもまあお約束だろう。

注文をつけるとしたら、「じつは三蔵と悟空が組んだ芝居でした」というオチの前に、後から「なるほど、あれが伏線だったのね」と思い当たるような仕掛けが欲しかったことかな。自分が見落としていただけかもしれないが、妖怪を映す照魔鏡で見ても普通の人にしか見えないのに、なぜ妖怪だと見抜けたのか…とか。ちょっとモヤモヤが残ってしまったのだが。いい加減なところが魅力となっている作風とはいえ、ストーリーに関する部分はしっかりしてほしかった気はした。

ということで続編は出来たのだが、このシリーズ今後も続くのだろうか。続けようと思えばほぼ無限に続けられる作品ではあるので、お願いしたい気はするね。

(やっぱりキャストは前作の方が好きだったかも…)
Sai

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2017年8月28日 (月)

関ケ原

■映画「関ケ原」 渋谷 TOHOシネマズ

予告編の段階ではそんなに興味は持ってなかった作品。ところが、なぜか急に「歴史ものもいいね!」という気分になり…。公開初日の初回上映を見てきた。

ストーリーはこんな感じ。
「豊臣秀吉の死後、豊臣家への忠義を貫く石田三成(岡田准一)は、天下取りの野望に燃える徳川家康(役所広司)と対立を深めていく。そして1600年10月21日、長きにわたった戦国時代に終止符を打った歴史的合戦『関ヶ原の戦い』は、早々に決着がついた。有利と思われた三成率いる西軍は、なぜ家康率いる東軍に敗れたのか…?」(シネマトゥデイ)

日本の歴史から強烈なドラマ性のある時代を選ぶとすれば、「源平合戦前後」「戦国時代」「幕末~明治維新」「太平洋戦争前後」あたりだろうか。とりわけ戦国はダントツの人気ナンバーワン時代であり、その中でも関ケ原は最大のイベントといえる。本作はそんなものすごく大きな題材に真正面から挑んだ映画であり、司馬遼太郎の原作を下敷きにしていることを強く前面に押し出しているのも特徴だろう。

ちなみに司馬遼太郎の「関ケ原」は未読なので、ここからの感想はあくまでも映画を見た印象だけをもとにして書いてみたい。

主人公は石田三成。徳川家康と戦った三成は江戸時代はずっとヒール扱いされ、今でもその名残りからか、三成=悪い官僚の典型といったイメージが残っている。司馬遼太郎はおそらく長い間歪められてきた三成の真の姿を描こうとしたのだろう。本作でも三成は人間味があり、「正義」を重んずる理想主義者とされている。しかし、結果的には現実主義の家康に敗れていくことになる。その意味では、見終わった後に「負けちゃったけど三成、カッコよかったな~」と思えたら、作品としては成功だったことになるのではないだろうか。

だが、本作の三成がそこまで魅力的だったかというと…正直微妙であった。むしろ、老獪で泥臭い家康の方が、役所広司の演技力のせいもあって、主役を食ってしまってる印象さえあった。両雄を対比させて描くならそれでいいかもしれないが、あくまでも三成を主人公とするなら、終始完全に「三成目線」で徹底してもよかったかもしれない。その方が見終わった後にどーんと余韻が残ったような気がするのだが…。

そんなわけで「三成再評価」という観点からは、もうひとつスカッとしない仕上がりだった気がしたのだが、良いところ、見ごたえのあるところもあった。

まずは、衣装、美術、ロケーションなども含めた映像はかなりよく出来ている。戦国末期らしいきらびやかさもあり、同時に日本的な渋さも感じられた。クライマックスとなる合戦シーンも正攻法で見ごたえがあった。関ケ原は大規模軍団同士が激突した戦いであり、それを時間もたっぷり使ってきちっと見せている。その意味ではタイトルに偽りなしで良かった。槍を持った足軽集団同士の戦いも、槍で「突く」のではなく、ちゃんと上から「叩いて」いる。たしか、ああいいうのが槍の本来の使い方だとどこかで読んだ記憶がある。それを実際の映像で見ることができ、細部までのこだわりも感じられた。騎馬武者の母衣(ほろ)なども華やかでよく映えていた。

原田眞人監督は、以前の「駆込み女と駆出し男」でも、けっこう本格的な江戸言葉のセリフを採用していた。本作にも現代語っぽい言い回しはほとんどなく、非常に時代劇らしくて好印象。反面、大きな題材を限られた時間に収めるために、全編でセリフが早口になってしまったのは惜しかった。「間」の感覚がなくなってしまっている。上映時間2時間29分と決して短くはない作品なのだが…。

配役は概ね良かったが、有村架純だけはなんとなく顔が現代的に感じられた。メイクとかヘアスタイルのせいだろうか。同様にちょっと「?」と思ったのは、クレジットの文字に一部英語(ローマ字)が使われていたこと。海外市場を意識してのことかもしれないが、せっかくの和風画面にあまりフィットしてなかった気がした…。

(家康の存在感が強烈。見方によっては家康が主人公のようにも見えてくる)
Seki

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2017年8月19日 (土)

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ

■映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」 新宿 角川シネマ

劇場で予告編を見て。公開直後に行ってみると終日満席。2回目に行ってもまたもや満席。新宿の上映キャパが小さいせいなのだが、3度目の正直でようやく見ることができた。

ストーリーはこんな感じ。
「1954年、アメリカ。52歳のシェイクミキサーのセールスマン、レイ・クロック(マイケル・キートン)は、ミキサーを8台もオーダーしてきたマクドナルドというドライブインレストランに興味を覚え訪ねてみる。そこでレイは、経営者のディックとマック兄弟による、高品質、コスト削減、合理性、スピード性などを徹底させたビジネスコンセプトに感銘を受ける。契約を交わしてチェーン化を進めるが、ひたすら利益を求めるレイと兄弟の仲は険悪になっていき…。」(シネマトゥデイ)

誰もが知っているハンバーガーチェーン「マクドナルド」。その創業秘話を映画化した実話もの作品である。監督はジョン・リー・ハンコック。前作の『ウォルト・ディズニーの約束』と同様、最後に登場人物たちの実際の写真や肉声を紹介し、物語がたしかに事実に基づくものだということを実感させる手法をとっている。「事実は小説より奇なり」とはよく言われることだが、実話もの映画らしい迫力とおもしろさが一体化したダイナミックな作品に仕上がっている。

タイトルの「ファウンダー」とは「創業者」という意味だ。しかし、マクドナルドのハンバーガービジネスを実際に生み出したのは、主人公のレイではなく、カリフォルニアで自分たちの店をやっていたマクドナルド兄弟だった。商品や販売スタイルだけでなく、有名な黄色いアーチのデザインまで兄弟が考えたものだったのだ。
そんなマクドナルドのビジネスは、当時としてはたしかに画期的なものであったが、そのままなら田舎町の風変わりな店のままだったかもしれない。だが、レイが関わったことによって、その後マクドナルドは急速な発展を遂げることになる。「ファウンダー」とは、「全米、全世界に展開する巨大チェーンとしてのマクドナルド」を創業した人物ということなのである。

このマクドナルド兄弟とレイの関係は、「0から1を生み出すベンチャー起業家」と「1を100にする成長請負人」ということになるだろう。両者は求められる資質がまったく異なるとはよく指摘されることである。実際に大きく成長したニュービジネスは、その発展プロセスのどこかで経営責任者が交代していることが多い。
この起業家から成長請負人へのバトンタッチが円満に行われるのが一つの理想ではあるが、往々にして起業家は自らが生み出したビジネスに愛着があるから揉めることになる。本作でもそのあたりは後半の見せ場となっている。目的に向かって邁進するレイは、まさに血も涙もない資本主義の権化のようだ。マイケル・キートンの演技が最高にハマっている!

マクドナルド兄弟から見れば、レイはいわゆる「乗っ取り屋」ということになるかもしれない。結果的にすべての権利を譲渡する対価は270万ドルだった。当時は1ドル=360円だから、日本円に換算すると9億7200万円。しかも1960年代初頭である。現在の貨幣価値だとざっと10倍として約100億円だろうか。これを安く買い叩いたと見るか十分と考えるか…。

そんなレイだが、52歳までしがないセールスマンだったことも忘れてはならないだろう。1950年代だから、今の感覚だともう60歳くらいかもしれない。それなのに営業先のモーテルで夜ごと自己啓発のレコードを聞いては「いつかチャンスがくる」と機会をうかがっていたのである。彼はビジネスにもっとも大事なのは根気だというが、まさに恐ろしいほどの根気である。そんな準備期間があったからこそ、彼はマクドナルドというチャンスを確実に捉えることができたのだろう。

本作を見ていると、成功に不可欠な要素は「チャンス」「能力」「運」…この三つだということがわかる。レイは根気やバイタリティーといった能力は十分だったが、52歳まではチャンスに巡り合えなかった。能力だけではどうにもならないのである。また、マクドナルドというチャンスを得てからも、事業はかなり綱渡りだった。資金繰りなどで相当苦しんでいたことが作中でも描かれている。そんな時、辣腕の財務アドバイザーにたまたま巡り合う。これは運の強さだろう。この三つの要素がそろうことはそうそうない。だからこそ成功物語はまばゆくおもしろい。

この他にも、雌伏期から創業期を支えてくれた奥さんと別れて、一目ぼれした人妻と再婚(てことは略奪婚?)なんてエピソードも出てくる。このへんはあまり恋愛方面に深掘りはしてないけど、レイの目標達成最優先なキャラを裏づける重要エピソードにもなっている。

生み出した価値観を守りたいオリジネーターとその商業化を進めたいビジネスマンの対立。この図式は監督の前作『ウォルト・ディズニーの約束』とほぼ同じである。しかし、結末と後味はまるで逆の映画が生まれることになった。両作を比べてみてもおもしろいのではないだろうか。

(マイケル・キートンをキャスティングできたことでこの映画の成功は決まった?)
Mac

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2017年8月 9日 (水)

海辺の生と死

■映画「海辺の生と死」 テアトル新宿

新聞で紹介されていたのを読んで。実は前の週にも見に行ったところ、たまたま1日(割り引きがあるファーストデイ)で満員。その日は断念していた。仕切り直しということで。

ストーリーはこんな感じ。
「太平洋戦争の終わりも近い1945年。奄美群島の加計呂麻島の小さな集落に、海軍の特攻艇部隊を率いる朔隊長が赴任してくる。島の子供たちに慕われ、仲間と酒を飲むより地元に溶け込もうとする朔に、国民学校教師のトエ(満島ひかり)はいつしか惹かれていく。やがて、出撃命令を待つ朔とトエは互いの思いを確かめ合い、明日をも知れぬ中で激しい恋に落ちる。」(シネマトゥデイ)

この映画に描かれているエピソードはほぼ実話といっていいのだろう。隊長のモデルは後に作家となる島尾敏雄、トエは同じく作家の島尾ミホである。彼らはこの戦時中の体験や戦後の結婚生活を作品にしており、日本文学が好きな人にとっては非常に有名な話といえる。ちなみにこのカップルのお孫さんは漫画家のしまおまほさんで、かせきさいだぁの奥さんである。

しかしながら、私自身は原作となっている彼らの小説については未読であった。それなのに、この戦時中の島で燃え上がった恋のエピソードを知っていたのは、ひとえに中森明夫氏が1998年にまだ存命中だった島尾ミホに会って書いた文章を読んでいたからである。そして、その文章がものすごくロマンチックで強く印象に残っていたことが、この映画を見てみたいと思った直接的な動機だった。

少々長くなるが一部を引用してみる。
「加計呂麻島呑乃浦。半世紀以上も前にこの場所で若い命らが一人乗り特攻艇によって自爆攻撃を果たすため待機していた。特攻隊を率いる青年海軍中尉は、村人にやさしく子供らに好かれ、『ワーキャジュウ(我々の慈父)』と呼ばれて島の守り神となっていく。(中略)真白い海軍の制服を着たマレビトと、カナ(姫)と呼ばれる村長の一人娘ミホは、宿命のように出逢い恋に落ちる。戦争が二人の恋を神話にした。遂に出撃命令が下り、その夜、死出の装束に身を固めたミホは手足を傷だらけにしながら浜辺をひた走る。恋する人とのひと時の逢瀬。やがて彼女は慟哭して浜に正座する。隊長の出撃を見届け、自ら短剣で喉を突いて海中に身を投げるために。しかし、出撃は果たされず終戦、生き延びた二人には『死の棘』の戦後が待っていた……。」(中森明夫『女の読み方』朝日新書 2007年より)

どうだろうか。まさにこの映画そのものではないか。本当にあった出来事なのにまるで神話のようだ。文明圏からやってきた青年と土地のエネルギーを身にまとった娘が恋に落ちる。永遠の時間が続くかと思われる南の島での暮らしと、いったん出撃が決まれば明日にも死ぬことになる戦争という現実が交錯する。映画は二人が惹かれあっていくプロセスを2時間35分の上映時間をたっぷり使いながら描いていく。登場人物によって数多くの島唄が歌われるが、いわゆる劇伴の音楽はない。そのかわりに島の言葉が音楽のようなリズムを生んでいく。もう一つの特徴は夜のシーンが多いことだろうか。闇はまるでこの世とあの世をつなぐ扉のようだ。他にも花や書物といった小道具が象徴的な役割を果たす。わかりやすいエンターテインメントではないが、非常に濃密な情報量を持った映画だと感じた。

トエを演じるのは沖縄出身だが奄美にルーツを持つという満島ひかり。彼女が垣間見せる役になりきる狂気のようなものが、恋のために命をも投げ出さんとする主人公とオーバーラップしていく。素晴らしいはまり役だろう。島民や子供たちは全員ロケ地の奄美地方で採用されたキャストで、これもとてもナチュラルで良い効果を生んでいる。

ただ、気になったところもないわけではない。終盤、村人たちが集団自決を企てるような描写がある。実はさきほどの中森氏の文章にも「(島民は島尾隊長を称え)隊長の出撃と同時に集団自決する意志さえ固めていた」という記述があるのだ。おそらく原作となった島尾夫妻の著作にもそういったエピソードがあるのだろう。ただ、最終的に最悪の事態は回避される。この顛末はもう少しわかりやすくするか、あえてカットでもよかったのではないだろうか。せっかくの終盤でやや観客を混乱させていたような気がした。ひょっとしたら自分が大事な部分を見落としたせいかもしれないが…。

(本格文芸映画として見ごたえ十分。映像も美しいので劇場でぜひ)
Umibe2

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2017年7月18日 (火)

カーズ/クロスロード

■映画「カーズ/クロスロード」 渋谷 TOHOシネマズ

ディズニー/ピクサーのアニメーション映画。シリーズものだけど、たぶん1作目をテレビで見たことがあるくらいかな(記憶もあまり…)。予備知識少なめで見た感じ。

ストーリーはこんな感じ。
「目覚ましい活躍を見せてきたスポーツカーのライトニング・マックィーン。しかし、最新型レーサーが次々と台頭してくる中で苦戦を強いられている。いつまでも第一線にいたいという焦りに駆られるマックィーンは、レース中に大事故に遭遇。運にも世間にも見放され、周辺には引退という文字がちらつきはじめるが…。」(シネマトゥデイ )

自動車たちがまるで人間のように暮らす世界を舞台にした物語。その点だけをとれば子供向け作品のようにも思えるが、ディズニー/ピクサーの制作とくれば、絶対に大人でも見ごたえのあるしっかりしたストーリーになっているはず…と思っていたらその通りだったね。

映像ももちろん素晴らしいのだけど、これについてはもうマヒしてきている感じ。最近のCGアニメーションのクオリティーは本当にすごい。実写と見まがうような映像が次々と繰り出される。見ごたえは十分だ。

しかし、本当にうならされるのはやはり脚本と演出の隙のなさだろう。シリーズも3作目。主人公はベテランの域に達し、そろそろ引退がちらつく年代になっている。この設定からしてすでに全然「子供向け」ではない。大人でもむしろ中高年以上がよりぐっとくるような渋い話を真正面からかましてくれる。もちろん、そんな話であっても、若者も子供もばっちり楽しませるぜ!…という自信があるからこそなのである。実際に年齢関係なく満足できるであろうエンターテインメント作品にきっちり仕上げている。さすがとしかいえない。

見終わって感じたのは、この「カーズ」というシリーズ、けっこう「ロッキー」なのではないか…ということだった。まあ、「1」はテレビでざっと見ただけ、「2」は未見の状態なので、あくまでも3作目の本作を見た印象にもとづいての感想なのだけど…。
では、具体的にどのへんが「ロッキー」なのかというと、まずベースとなっているのが「アメリカ流のスポ根」ということだ。強敵を倒すための努力や工夫、モチベーションなどが物語の見どころとなっており、その背後には「師匠から弟子への魂の継承」というテーマが隠されている。もうこの段階でおもしろくないはずがない鉄板の設定である。

シリーズ3作目の本作では、ライバルはハイテクをフル装備した「新世代」となる。実際の能力では主人公はもう完全に追い抜かれているのだが、そんなロートル世代がアナログな特訓によって、「まだ新世代には負けない!」というところを見せようとする…物語はそんな展開で進んでいく。このアナログでハイテクに勝負を挑む…というあたりも娯楽映画の王道。勝てるのか?どうなる?…と展開から目が離せない。

しかし、本作はそれだけでは終わらない。終盤でさらに大きな仕掛けを用意している。「ロッキー」っぽさを感じさせるもう一つのテーマ「魂の継承」が急速に浮かび上がってくる展開だ。こうなると「ロッキー4」あたりと「クリード」を両方いっぺんに見ているようなおもしろさのてんこ盛りとなる。そして、主人公の魂を受け継ぐのが女性だという点は、最近のディズニー映画のトレンドと完全に一致するものといえるだろう。

本作の世界観でもう一つ興味深いのは、背景が「アメリカの田舎」ということでもある。日本人にとってアメリカらしい風景というと、どうしてもニューヨークやLAなど大都会をイメージしてしまいがち。しかし、そういう大都会はどちらかといえば「アメリカっぽくないところ」だともよく指摘される。本作は、景色だけでなく文化的なものも含めて、アメリカの田舎の感覚が非常によく打ち出されているのではないだろうか。プロレス的な草レースのエピソードなどがその真骨頂だろう。そんなところも含め多面的に楽しめる映画でもあると思った。

(見たのは日本語吹き替え版。ヒロイン役の松岡茉優さん、本当に芸達者!)
Cars

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2017年7月13日 (木)

ボンジュール、アン

■映画「ボンジュール、アン」 日比谷 TOHOシネマズ シャンテ

気軽に見られそうな映画ないかな…と探していたらこの作品が目についた。ネットで予告編をさっと見たくらいの予備知識で…。

ストーリーはこんな感じ。
「仕事漬けの映画プロデューサー・マイケル(アレック・ボールドウィン)の妻、アン(ダイアン・レイン)は、ひょんなことから夫の仕事仲間・ジャック(アルノー・ヴィアール)の車に同乗してカンヌからパリに向かうことになる。単なる移動のはずのドライブは、予想に反して、おいしい食事や南フランスの美しい景色を楽しむ充実したひと時となる…。」(シネマトゥデイ)

コッポラ家といえば有名な映画一家。本作の監督エレノア・コッポラは、巨匠フランシス・フォード・コッポラの妻ということになる。1936年生まれだから今年81歳。本作で長編監督デビューしたのが80歳の時だからすごいエネルギーだ。主人公アンの「映画プロデューサーの妻」という設定は多分に自分を投影したものだろうか。

そんな本作は、映像で綴った短編小説、またはエッセイ…といった趣き。カンヌからパリまでのわずか2日間のドライブ旅行を題材に、大人の恋愛未満のちょっとしたトキメキが描かれている。一見「オシャレ映画」というつくりながら、肩の力が抜けているというか、さらっとした粋な味わいに仕上げている。大事件は起こらないけど、旅する二人の微妙な関係から目が離せない。気持ちよく見ることができた。映像もとてもきれいで、観光ロードムービーとしても楽しめたね。

物語はアンの視点で語られていく。舞台はフランス、ドライブの相方はフランス人男性。当然、「アメリカ人の考えるフランス人のイメージ」がこの映画を支えているといっていい。それは何かといえば、ずばり「恋愛体質」であり、「人生を謳歌するスタンス」であり、反面「ちょっといい加減」みたいなところだろう。特に、恋愛については、自分もよく「フランス=恋愛大国」という言い方をするのだが、アメリカ人もほぼそう思っているようだ。そうしたフランス人のイメージが実体化したような存在がジャックということになる。

日本人からすると、アメリカ人もフランス人も「西洋人」と一くくりにしがちだけど、そこにはさまざまな差異があるところがおもしろい。また、フランスという国そのものが持つ歴史や文化の奥行きに対するアメリカ人の憧れみたいなものもあるのかもしれない。アンはジャックを通して「異文化」「異国」に接する旅をしたことになる。彼女は大学生の娘がいるくらいだからおそらく年齢は50代。しかも既婚者。そんな落ち着いた大人の女性の心が動かす仕掛けとしてはよく出来ていると思った。

その一方で、その「アメリカ人の考えるフランス人のイメージ」をフランス人自身はどう思うのだろうか。やはり、ステレオタイプだと感じるのだろうか。あるいは、多少誇張はあるけど大体あんなもんだよと受け止めるのか。これもちょっと興味あるね。

視覚的な部分では、要所々々でアンが撮影する写真を「静止画」としてインサートしていく手法がスマートに決まっていた。決して珍しいテクニックではないけど、使い方がこなれている。また、カメラそのものも小道具としてうまく生かされていた。小品ながら印象的な映画。見終わって疲れないところもいい。

(車の故障で川べりの昼食。アンの機転がなかったらどうするつもりだったのか…)
Bon

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