映画・テレビ

2017年5月17日 (水)

カフェ・ソサエティ

■映画「カフェ・ソサエティ」 日比谷 みゆき座

劇場で見た予告編はいまいちだったのだが、新聞の映画評がわりと良かったで。

ストーリーはこんな感じ。
「1930年代。ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、刺激にあふれた人生を送りたいと願い、生まれ育ったニューヨークからハリウッドに向かう。映画業界のエージェントとして成功している叔父フィルのもとで働くボビーだったが、やがて叔父の秘書を務める美しいヴォニー(クリステン・スチュワート)のとりこになる。彼女との距離が縮まるにつれ結婚まで考えるようになるボビー。しかし、彼女にはひそかに付き合っている男性がいた…。」(シネマトゥデイ)

脚本・監督はウディ・アレン。80代になった今もバリバリの現役。というわけで作品は多いが、考えてみるとあまりちゃんと見たことがない監督でもあった。テレビ放映されたようなのは別として、劇場できっちり見たことはないかも…。

そんなわけで「ウディ・アレン初心者」の感想としては、非常にありきたりだが、アメリカ文学の短編小説を読んだような気分になる映画…そんな表現がぴったりだと思った。

上映時間は96分。もともとそう長い映画ではない。語りがけっこう多用されていて、ストーリーをどんどん進めていく。普通なら「語りの多用」「説明ゼリフ」などは素人くさい作劇法の代表という感じで、その段階で「うーん」と感じてしまうところだろう。しかし、本作ではそう思わせないところが、やはり百戦錬磨の監督の手腕なんだろうね。全編に流れる軽快なジャズ音楽とともに必要なエピソードをサクサクと積み上げていく。ギャングが人を殺す場面でさえ、郵便配達が郵便受けに封筒を投げ込むような感覚でテンポよく描かれる。その結果として生まれているのが、「アメリカ文学の短編小説」のようなすっきりとして乾いた感じ、それでいてとても小粋な印象なのだろう。

物語はハリウッドを舞台とする前半とニューヨークでの後半に大きく分かれる。ハリウッドでは奇妙な三角関係を伴った恋愛が描かれる。ナイーブな主人公ボビーの目線から見ていると、なかなか切ない展開となる。彼は心に痛手を負って故郷ニューヨークに戻る。ナイトクラブの仕事に就いたボビーはいっぱしの男に成長する。結婚もして子供も生まれた。自信に満ちた人生だ。そんな時、ハリウッド時代の恋人と再会する。ボビーはまだ彼女のことが忘れられないでいる自分に気づく…。

サクサクとしたタッチで進んできた物語が急に「人生のホロ苦さ」を感じさせるものになる。演出のテンポも音楽の使い方もそれまでと何も変えてないのに。この映画で描かれている事件は、多少状況設定を変えれば、おそらく誰の身の上にも起こりうることだろう。物語の結末に大きな展開はなく、ただじわりと広がる余韻だけを残して映画は終わる。これこそ大河小説ではない、都会的な短編小説の味わいであろう。比較的短い上映時間もそんな題材にぴったり。「小品ならではの良さ」が出た作品だと思った。

ストーリー以外の部分も魅力的だったね。出演者はみんなはまり役。主人公の恋人役と結婚相手役、二人の女優さんもそれぞれにチャーミングでよかった。また、1930年代のファッションや音楽、風景や街並みの描写も素晴らしかった。やはり、映画はこういう「今ではもう見ることのできない時代」を見せてくれるエンターテインメントでもある。このへんの時代が好きな人なら文句なしに楽しめるだろう。

一方、映画本編とは関係ない話ではあるのだが、日本版の予告編はいろんな意味でこの映画の良さを伝えきれてなかった気がした。おそらく予告編だけだったらこの作品を見ることはなかっただろうし、見始めてからも「なんか予告編でやってた話と違うな…」という感覚があったりして、予習に役立つどころか逆にノイズ化していたような気も…。

(夜明けのセントラルパークでワインを…というお洒落なシーン!)
Cafe

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2017年4月16日 (日)

グレートウォール

■映画「グレートウォール」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ

予告編の段階でけっこうブッ飛んでたのと新聞の映画評が良かったので。見たのは公開翌日。土曜の朝からお客さん多かったね。

ストーリーはこんな感じ。
「世界を旅する傭兵、ウィリアム(マット・デイモン)らは、シルクロードの中国国境付近で謎の獣に襲われる。生き残ったウィリアムとトバール(ペドロ・パスカル)は、精強な禁軍が守る万里の長城にたどり着く。軍師のワン(アンディ・ラウ)によって処刑を免れたウィリアムたちは、自分たちを襲った獣が饕餮(とうてつ)という怪物であり、万里の長城はその大群を都に入れないための防壁だと知る。やがてすさまじい地響きと共に無数の獣たちが迫ってきた…。」(シネマトゥデイ)

「万里の長城」といえば、歴史的には北方からの遊牧民族の侵入に備えて築かれたものだが、本作では長城にまつわる伝説の一つ、「異形のモンスターを防ぐためのものだった」説を100%採用。歴史スペクタクルかつアドベンチャーファンタジーともいえる異色作だが、それをアメリカ・中国の合作で徹底したエンターテインメント作品に仕上げている。こういう映画は四の五の言わずに楽しむしかない。実際にスピード感のある展開で最初から最後まで一気に見せられた!

やはり見どころは長城を守る守備隊とモンスター・饕餮の大群の戦いだろう。とりわけ、捕らえられた主人公たちには「何かが襲ってくる」ということしかわからない状況の中で、戦闘の準備が着々と進められるあたりの緊張感がなんともいえない。そして、実際に戦いが始まってようやく姿を見せた敵の数のすごさ。まさに雲霞の如き大群だ。それに対して守備隊もこれぞ中国という感じの人海戦術で応戦する。当然CGなのだろうが、ごまかさずに正攻法で撮っているところにまず感心する。

ロープを使って宙を飛びながら攻撃する女性兵士の部隊は『進撃の巨人』オマージュだろうか? 霧の中から大口を開けたモンスターが飛びかかってくるあたりは『ジョーズ』(サメもの)映画の雰囲気も。主人公のウィリアムが弓の名手という設定はやはり『ウィリアム・テル』なんだろうね。終盤、地下水路での攻防戦は『エイリアン2』だな~と思ったり。他にも映画好きの人にはたまらない遊びがいっぱい散りばめられていそうだ。

物語は主人公たちが長城に入ってからほんの数日の出来事がすべて。サブストーリーは、当時の最先端兵器である「黒色火薬」の秘密を盗み出す話くらい。ついつい入れたくなる主人公と女隊長との恋愛感情みたいなのもごくごく淡いタッチに抑えている。シンプルでわかりやすいストーリーに絞り込んでるところがいいね。
欲をいえば、饕餮のクリーチャー造形があまり中国っぽくないので、もうちょっと何とかしてほしかった気はしたかな…。特に大ボス(女王)とかね。まあ、全体的には歴史考証なども含め細かいことを言う映画ではないので、突っ込みどころもおもしろがるくらいでちょうどいいのかも。スカッとできる痛快作だ!

(話自体はB級っぽいけど主役をはじめスター俳優を使ってるから絵柄が豪華!)
Gw

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2017年4月11日 (火)

パッセンジャー

■映画「パッセンジャー」 渋谷 TOHOシネマズ

けっこう前から劇場で予告編を何度も見ていた作品。ドンパチ系じゃないSF映画もいいな…ということで。

ストーリーはこんな感じ。
「20XX年、新たなる居住惑星をめざし、5000人を乗せた豪華な宇宙移民船アヴァロン号は地球を後にした。到着までは120年。しかし、冬眠装置で眠る乗客のうちエンジニアのジム(クリス・プラット)と作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)だけが目覚めてしまう。予定より90年も早く…。絶望的な状況を打破しようとする二人だったが…。」(公式サイトより)

巨大な宇宙移民船。SFにはよく登場するアイテムだが、その内部をつぶさに描いた作品は初めて見たかもしれない。なぜなら恒星間飛行には非常に長い年月が必要であり、その間は乗務員も乗客も人工冬眠している…という設定が一般的だからだ。みんな眠っている状況では物語にならない。しかし、一人だけ予定外に目覚めてしまったら…。これもまた宇宙を舞台にした「ロビンソン・クルーソー物語」といえるだろう。

宇宙でのロビンソン・クルーソー生活といえば、約1年前に見た『オデッセイ』もそうだった。しかし、同作が「DIYしながら救出を待つ」物語だったのに対して、本作は「高級ホテル並みの環境はあるものの救出は最初から望めない」という大きな違いがある。外部から隔絶され、たった一人だけの世界で、人は何を支えに生きていけばいいのか…? ここで生じる主人公の葛藤こそまさに「究極のロビンソン・クルーソー」のテーマかもしれない。SF好きとしてはかなりわくわくできるストーリーになっている。

そして後半、もう一人の乗客、オーロラが覚醒して以降の物語は、いわば「セカイ系」といっていいのではないだろうか。ジムとオーロラ、目覚めている人間がたった二人しかいない巨大宇宙船はそこだけで完結した「世界そのもの」。しかし、その「世界」は破滅の危機に瀕していることがわかる。「きみとぼく」の関係性がダイレクトに世界の命運を握る。前半はSF的な思索が中心であり、後半は一気にエンターテインメントとなる。バランスのいい作品でおもしろく見ることができた。

ただ、せっかくSF的設定が魅力の作品なのに、ちょいちょいご都合主義的なところがあるのは若干気になったかな。たとえば、小惑星のようなものに衝突して最初の事故が起こるのだが、重要なシステムには何重ものバックアップが用意されるのが当たり前ではないのか。設計が杜撰すぎる。また、バーテンダーやウェイターのロボットがいるのに、なぜ故障修理ロボットがいないのかも理解できない。万一システムが破損しても修理するロボットがいれば問題はなかったのである。

さらにいえば、目的地までの120年間起動する必要のない客室の全システムが、たった一人アクシデントで覚醒しただけですべて対応する…というのもありえないのではないだろうか。こういう現代人が考えても「ちょっとどうなの?」と思うような穴があると、SFとしての詰めの甘さを感じてしまうことになる。このへんはもっとしっかり練り込んでほしかったね。

逆に、登場人物が極端に少ないのに飽きさせない物語展開はなかなか良かった。主人公にうしろめたいところがあってハラハラさせられるところとかね。オーロラ役のジェニファー・ローレンスはとても魅力的で、「こういう女性と二人きりで暮らせたら…」という妄想刺激ドラマとしてもおもしろい。「ロビンソン・クルーソー」にも憧れるが、どっちが楽しいかといえば「青い珊瑚礁」に決まっているのだ。その意味では結末はファンタジーでもある。そんな気がした。

(この宇宙服の耐熱性がすごい。思わず「まじか!そうきたか!」と言いたくなった)
Pass_2

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2017年4月 6日 (木)

はらはらなのか。

■映画「はらはらなのか。」 新宿 武蔵野館

相当前からツイッターのTLでよく目にしていた作品。ネットで予告編も見ていたし、劇場でやってる間に一回は行っておきたいな…ということで。

ストーリーはこんな感じ。
「冴えない子役女優・原ナノカ(原菜乃華)。自分が生まれると同時に亡くなった母・マリカ(松本まりか)に憧れて始めた道だが、オーディションは不合格続きで鬱屈とした日々を送っている。父・直人(川瀬陽太)の都合で田舎町に引っ越してきたナノカは、マリカが出演した舞台の再演とキャスト募集のチラシを見つけ、絶対に主役をやりたい!と事務所にも直人にも内緒でオーディションに挑むが…。」(公式サイトより)

完全にミュージカルということでもないんだけど、歌や踊りで表現される場面がけっこうある。音楽を担当しているチャラン・ポ・ランタン以外にも、吉田凜音さんらが出演していて、その歌がとても大事なシーンになっていたりもする。「映画と音楽のコラボ」をテーマとする「MOOSIC LAB」のコンセプトにも通じる作品だな~という印象。それもそのはず、「MOOSIC LAB 2015」でグランプリを獲得した酒井麻衣監督の最新作なのだ。そのへんの雰囲気が好きな人ならとてもおもしろく見ることができる映画だと思った。

物語は、中学生になったばかりの主人公が悪戦苦闘しながら、自分の進むべき道を見出していく…というもの。そこに家族(親子)というもう一つのテーマが加わっている。主人公のナノカは、親子を題材にした舞台を経験することで、「母がいない」という自らの欠落感を埋めていく。フィクションには現実を変える力がある。そのことを確信できた時、一人の女優が誕生する…。
同時に、本作はナノカを演じた原菜乃華さん自身が、女優になる覚悟を決めたという作品でもある。物語の中でも一人の女の子が女優への一歩を踏み出し、現実でも女優・原菜乃華誕生のドキュメンタリーになっている。虚と実が入れ子になって交錯する不思議な奥行きを生んでいる。

後で監督のインタビューを読んだら、本作に登場する劇中劇は実際に原菜乃華さん主演で公演された舞台であり、それにインスパイアーされて映画の脚本が生まれたのだそうだ。作品の成り立ちとしては、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』に近いともいえる。どちらも“女優誕生”を扱っているところが興味深い。そして、自分はこういう物語が好きなんだな~とも改めて感じた。

主演の原菜乃華さんはまだリアル中学生。当然だけどものすごくフレッシュ! 映画の序盤から後半にかけてどんどん成長していく表現が素晴らしい。ただ、この世代を見る目はどうしてもお父さん目線になってしまうね。作中のお父さん、本当に愛情を注いでいて、ナノカちゃんが嫁に行く時には絶対号泣だろうなあ…と思わずにはいられない。

重要な役である喫茶店店主を演じる松井玲奈さん、先輩役の吉田凜音さんもいい配役だった。そして、チャラン・ポ・ランタンの主題歌がどんぴしゃにハマってたね。欲をいえば、エンドロールのところでもう一発ミュージカルシーン(カーテンコール的な)があれば最高だったんじゃないだろうか。

(3年後くらいにはJK恋愛もの映画にひっぱりだこかな…)
Hara

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2017年4月 3日 (月)

SING/シング

■映画「SING/シング」 渋谷 TOHOシネマズ

人気も高く評判も上々のアニメ映画。ちょうど春休みの期間中でもあり、小学生くらいの子供を連れた親子のお客さんが多かったかな。

ストーリーはこんな感じ。
「劇場を運営するコアラのバスター・ムーンは、かつては活気のあった劇場に輝きを取り戻すべく、世界最高の歌唱コンテストをプロデュースしようと考える。感傷的に歌うハツカネズミや、内気なゾウ、25匹も子供がいるブタ、パンクロッカーのヤマアラシらが会場に集結し…。」(シネマトゥデイ)

アニメ映画ならではの「勢い」で全編見せ切ってしまう。文句なしに楽しい作品だろう。借金で首が回らなくなっている主人公は、一発逆転を狙って「素人のど自慢」のショーを企画する。この「お金に困ったらショーで稼ごう」というのは、ハリウッドのプログラムピクチャーの時代からの正統的なお約束パターン。『ザッツ・エンターテインメント』の中でもMGMミュージカル映画の典型的ストーリーとして紹介されていたはず。そのクラシックな軸に、のど自慢参加者のそれぞれが抱える、こちらは非常に現代的な悩みや事情が絡む。間違いのない鉄板の縦糸に新しい横糸を絡めた構成といえる。しっかりした物語で最後まで一気に楽しめたね~。

でも、あとで冷静に振り返るとけっこうご都合主義な展開や調子のよすぎる流れも随所に見られる。そもそも「素人のど自慢」で潰れかかった(実際に物理的にも一度潰れてしまう)劇場を復興できるのなら、もっと早くからやっとけという話だし、金目当てに集まった素人にそんなに才能が埋もれていたというのも調子よすぎる。他にも実写でやったら「リアリティーがない」と言われそうなところはいくらでもある。

しかし、それが許されるのが「アニメ映画」であり、さらには登場キャラすべてが「動物」だというところだろう。そういう作品の特性を思い切り生かして、実写では不可能な物語の展開やテンポを生み出している。だから見ている間は、ご都合主義でも何でもほとんど気にならずに、「物語の勢い」で最後まで見せられてしまう。そこには「理屈よりもグルーヴ」に身を任せることの心地よさがあり、それはある意味で「音楽の快感」にも通底するものだといえる。そう、この映画は物語そのものが音楽になっているいえるのではないだろうか。

さらに言うなら、主人公のバスター・ムーンは舞台への情熱こそあるものの、コンプライアンス面では最低の経営者である。また、ネズミのマイクも音楽の才能はたしかにあるが、やっていることはゴロツキと変わりがない。しかも、そいつらは最後まで改心することもなく、元のまま。子供が多く見に来ている映画なのに、そこらへんの教育的配慮は一切なしだ。
しかし、音楽にも世の中にも「いろいろある」ということを教えることこそ最大の教育的配慮なのではないか。文科省推薦じゃない音楽、放送禁止の音楽にも素晴らしいものはいくらでもある。あるいは世の中にはろくでもないやつがいるが、そのろくでもないやつにもひょっとしたら良いところがあるかもしれない。もちろんその逆もありだ。登場キャラが抱える悩みや迷いが現代的であり、同時に子供よりもむしろ大人の方が共感してしまうような設定になってたりすることも含めて、非常に懐の深い物語になっている。まさに大人が見ても子供が見ても手ごたえを感じられる作品だといえる。

今回見たのは「日本語吹き替え版」。この数年、海外アニメは吹き替え版で見ることも多く、決して字幕版原理主義者ではない。ただ、「歌」が主役ともいえる本作のような作品は、やっぱりオリジナルで見た方が(聴いた方が)本来の味わいを感じられるのではないか…という気もしていた。ただ、事前に吹き替え版もオリジナルの字幕版に負けないくらい素晴らしい…と聞いていたので、そこにもちょっと興味があった。結論からいえばとても良かったね。
驚かされるのは、それぞれの分野でけっこう有名な人たちが声を当てているのに、映画を見ている間、「あ、この声は誰それだな…」とほとんど気づかせないこと。もちろん、MISIAなどは歌声を聴くとわかってしまうのだけど、MISIAが歌ってるな…とはならない。あくまでもゾウのミーナの歌として聴いてしまう。他の配役もまったく同じ。個性的な声が役に完全にシンクロしている。エンドロールのクレジットを見て、改めて感心してしまった。この吹き替え技術(キャスティングやディレクションも含めて)、世界でもトップクラスなのではないだろうか。

(比較という意味でもオリジナル英語版も見て見たくなるよね~)
Sing

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2017年3月19日 (日)

ラ・ラ・ランド

■映画「ラ・ラ・ランド」 日比谷 TOHOシネマズ スカラ座

話題作だしやっぱり見ておかないとね…ということで。公開後1カ月近くたつ平日の昼間だったけど、広いスカラ座でもそこそこお客さん入ってましたね。

ストーリーはこんな感じ。
「何度もオーディションに落ちてすっかりへこんでいた女優志望のミア(エマ・ストーン)は、ピアノの音色に導かれるようにジャズバーに入る。そこでピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会うが、その時の印象は最悪なものだった。ある日、ミアはプールサイドのパーティーで不機嫌そうに1980年代のポップスを演奏をするセバスチャンと再会し…。」(シネマトゥデイ)

ミュージカルはけっこう好きで、主に舞台だけど1990年代にいちばん見たかな。今でもミュージカルのCDは100枚以上持っている。だから、ミュージカル映画というだけで、それなりに期待はしたのだけど、同時に劇場用の予告編を見た段階では、「これ、そんなにおもしろいのだろうか?」と若干の疑問も持っていた。予告編からはミュージカルならではのワクワク感というのがあまり伝わってこなかったのだ。

見終わっての印象は「まあまあ」。とりわけ、シネマンディアス宇多丸氏も指摘していた、チャゼル監督の持ち味である終盤の一気呵成の力技には逆らえない感じ。終わりよければすべて良し…ということにはなるのだが、逆にいえば全体的なストーリーにはさほど起伏はなく、良くも悪くも現代的だなと思った。とてもリアルな感覚がベースになっていて、ミュージカルらしい「夢のある大風呂敷」とはちょっと違っている。そもそもそういう「クラシックなミュージカルを再現」することが狙いではなかったのだろう。ミュージカル的な要素につい気を取られがちだけど、やはりこの作品は、夢を追う若者のつかの間の恋と自らが選んだ道…という物語の本筋こそがテーマであり、そこにどれくらい共感できるかで評価がわかれるのではないだろうか。

では、夢を追う若者たちの物語としてどうだったのか…といえば、ミアについてもセバスチャンについても、もうひとつ迫ってくるものがなかった気がした。たしかにそれぞれの動機や背景もきちんと描かれていて、説明不足の感はないのだけど、同じ女優志望の女の子の話だったら、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』の方がはるかに必死さが伝わってきたように思う。このへんはカラッと明るいLAが背景というせいもあるのだろうか。
もう一つの自らが選んだ道、そしてあり得たかもしれない別の未来…というテーマについては、宇多丸氏のムービーウォッチメンでの論評にとてもうなずいてしまった。ここは、よく言われる「女性の恋は上書き保存、男性は名前をつけて保存」がそのまんまストーリーになっていて、たしかに噛みしめると味がある結末となっている。

同時に、見ながら「これを舞台化したらけっこう楽しいんじゃないかな」という気もすごくしていた。スカラ座の真上は東京宝塚劇場だ。ぜひ宝塚でミュージカル化してもらいたいと思った。画面のカラフルさなども宝塚のステージにぴったりハマるのではないだろうか(関係者は間違いなく狙っているだろう)。ただ、その際には何曲か追加した方がいいかもしれない。特に主人公たちの気持ちを「歌」で表現するビッグナンバーがいくつかほしい。映画の主人公2人は、いずれも本職の歌手でもダンサーでもないということで、そこもちょっと物足りない要素になっていたようにも思う。

(自分の好きなものをガールフレンドにも強制するセブは典型的なオタクですな)
Lala

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2017年3月 9日 (木)

お嬢さん

■映画「お嬢さん」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ

劇場で予告編を見ていた段階ではあまりピンときてなかったのだけど、新聞の映画評が良かったので。イギリスの歴史ミステリ小説「荊の城」を原作とする韓国映画。原作未読の状態で見てきた。R-18指定。

ストーリーはこんな感じ。
「日本統治下にあった1930年代の韓国。詐欺師たちの手で育てられた少女スッキ(キム・テリ)は、伯爵の呼び名を持つ詐欺師(ハ・ジョンウ)から、大邸宅に住む美しい富豪令嬢・秀子(キム・ミニ)の小間使いの仕事をあてがわれる。伯爵はスッキを使って秀子との財産目当ての結婚を企んでいた。結婚後は秀子を精神病院に送り込み、その財産を奪う計画を進める伯爵だったが…。」(シネマトゥデイ)

いろんな意味で強い印象を残す映画。アクションやスペクタクルに頼るわけではなく、かといって芸術映画とか感動作というのとも違う。ひと時も目が離せない、ある意味で下世話なストーリーを追っていくうちに、「人間の欲望」について、「いやあ…いろいろあるよなあ…」と思わされてしまう。しかし、不思議と嫌な感じは残らない。むしろ、隅々まで計算されつくした映像の美しさがいつまでも脳裏に焼きついて離れない。韓国映画の奥の深さを感じさせられる作品ではないだろうか。

原題は「THE HANDMAIDEN」、直訳すれば「女中」である。これは令嬢の小間使いとして屋敷に潜入するスッキが主人公であることを表している。彼女は詐欺師の一味であり、物語の縦糸となるのはこの詐欺の仕掛けである。色仕掛けで令嬢の財産をいただいてしまおう…という計画なのだが、色恋が絡んでくるだけに、時として詐欺師自身もふっと人としての恋愛感情に動かされそうになることもある。その心の揺れが計画にどう影響してくるのか…。まず、ミステリ映画としてとてもよく出来ていると思った。物語の随所に散りばめられた小物類の扱いやエピソードが次の展開への伏線としてうまく効いている。

原作はイギリスが舞台だが、本作はそれを日本統治下の朝鮮に移し替えている。これがとても良い効果を生んでいる。見終わって思い出したのが、2014年に公開された映画『危険な関係』だった。同作は、フランスの原作を、戦前の中国・上海に舞台を移して映像化したものであり、貴族階級のデカダンスあふれる恋愛ゲームの模様を描いているという共通点がある。もっとも、本作(「お嬢さん」)の場合、ゲームといっても「コンゲーム」という違いはあるのだが…。恋愛と退廃というモチーフと戦前のアジアのエキゾチックかつ非日常的な空気感とは非常に相性が良いのではないだろうか。洋館と日本家屋が複合した邸宅、広壮な庭園、美しい衣装の数々、そこで交わされる朝鮮語と日本語のひそやかな響き…。見たことのない、現実には見ることのできない世界を目の当たりにできるという映画ならではの快楽を存分に味わうことができる。

そして、物語の横糸として強烈なインパクトをもたらしているのが、秀子の義理の伯父・上月の変態趣味だろう。彼は希少な「春本」の一大コレクターであり、秀子にそれを朗読させる集まりを主催している。高級なスーツを着た客の紳士たちは、これまた洗練された日本庭園の見える広間で美少女の朗読を聴き、言葉とイメージだけで淫猥な世界に遊ぶ。
この一連のくだりがものすごく厭らしいというか変態的で素晴らしい。即物的に性的興奮をあおるという意味では、現代の無修正AVとか時折摘発される乱交パーティーなどの方がはるかに上だろう。しかし、より人間の業を感じるというか、変態っぽいのは本作の方ではないかという気さえしてくる。しかも、この設定が物語の縦糸である詐欺計画の発端となり、さらには結末にも大きな影響を与えるよう、その意味が巧妙に考えられている。原作がそうなのかもしれないが、非常にうまいつくりで物語の印象をとても強めていると思った。

実は、この変態富豪・上月は「日本の朝鮮統治が永続すると考え、日本人になりきろうとした朝鮮人」という設定でもある。詐欺師である伯爵もまた、そういう朝鮮人を演じている。新聞の映画評によると当時はそういう人たちがけっこういて、監督はそれもモチーフの一つに取り入れたのだという。おそらく原作にはない映画オリジナルのアイデアだろうが、何重もの虚構が積み重ねられることで、ミステリとしての奥行きや味わいをさらに深めているのは間違いないだろう。

キャストでは、やはりメインの女優二人がとても魅力的。とりわけ、新人で抜擢されたスッキ役のキム・テリは、庶民的な愛嬌とたくましさが共存していて惹きつけられる。雰囲気は少し前にみた『人魚姫』のリン・ユンにも通じるような…。現代アジア映画で流行りの顔なのかもしれない。

(序盤のこの入浴シーン。まだ軽いジャブなんだけど十分エロチック)
Ojo

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2017年1月24日 (火)

沈黙 -サイレンス-

■映画「沈黙 -サイレンス-」 日比谷 TOHOシネマズ スカラ座

海外にも読者の多い遠藤周作の原作小説を、マーティン・スコセッシ監督が完全映画化した話題作。以前「隠れキリシタン」関係の本を読んだことなどもあり、ぜひ見たいと思っていた作品でした。

ストーリーはこんな感じ。
「江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い…。」(シネマトゥデイ)

原作は未読ながら、「あらすじ」のかなり詳しいものを事前に読んでいた。本作のストーリーは、その原作の物語にほぼ忠実。とても誠実につくられた文芸作品という印象を受けた。江戸初期の日本の風景は、主に台湾でロケされたものだろうか(エンドロールに台湾関係のクレジットが出てくる)。時代考証や美術なども日本人から見てまったく違和感のないもので、ハリウッド映画などにありがちな「中国と混同してるんじゃないの?」みたいなところも皆無。日本を舞台とした映画としては最上級の一本といっていいだろう。

とても丁寧に作っているため上映時間は「2時間42分」とかなりの長尺。無駄な場面があるわけではないから、ダラダラ長いという感じはないのだが、ひょいと気軽に見られる作品でないのも確かだろう。もっとも、テーマ自体も重厚なものなので、やはりある程度は腰を据えて見て、見終わった後にもじっくり考える時間を持ちたい作品だともいえる。「おもしろかった~」で済ませてしまってはもったいない映画だと思った。

原作は、キリスト教徒であった遠藤周作が日本人である自らとキリスト教の関係を考え抜く中で生まれた小説である。映画でもそこが真正面から捉えられている。日本というキリスト教がまったく根づいてない(むしろ激しく弾圧されている)環境で信仰を続けることの意味が鋭く問われる。しかし、ここはキリスト教徒ではない自分にはぼんやりとしかわからなかった…というのが正直な感想だと言わなくてはならない。あくまでも想像することしかできないという感じだ。

逆に、殺されても信仰を守ろうとした日本人信徒たちを支えていたものは何なのだろうということが気になった。普通に考えれば、やはり当時の民衆の生活が苦しかったということだろう。信仰が唯一の救いであり、現世で生きるよりも、死んで天国に行く方が魅力的と思えるような環境だったということだ。
ただ、これは幕府の側からはとても危険な思想に見えただろうということも理解できる。そう遠い昔ではない戦国時代には一向衆などの宗教勢力が大名たちを苦しめている。信徒たちが真摯であればあるほど幕府としては脅威を感じ、弾圧を強化せずにいられないということになる。

この構図は現代の世界にも通じるものがあるのではないだろうか。格差の最底辺に置かれた地域ほど過激な宗教思想がはびこり脅威になっている。生きることよりも自爆テロで死んで天国に行くことが魅力に思えるような状況があるから、国際社会が押さえつけようとするほど信者は団結してしまう。現代の主な日本人はその対立構造を、この映画でいえば幕府側に立って見ていることになる。

では、ここで守らなくてはならないものが宗教ではなく、多くの現代人にとっての「真理」といえる自由、平等、民主主義…などであったとしたらどうだろうか。どこかの独裁国家に流れ着いて、そこでは人権が無視され、思想や表現の自由もないとしたら…。強い人は命をかけて自分の信念を貫こうとするだろう。しかし、自分も含めて弱い人は、表面的には従っているような態度をとりながら、心の中までは渡さないという姿勢をとるしかないのではないだろうか。

自由も平等も民主主義も否定しながら、心の中でだけそれを守り続けるとしたら、それは本作が描く棄教した宣教師たちや弱者の代表のようなキチジローとまったく同じといっていい。今後、そういう普遍的と思われている価値が否定される事態が絶対に訪れないとはいえない。戦時中の日本などはまさにそうだったし、現にそういう国も多数ある。本作の描くテーマは、現代日本の私たちにとってはそう置き換えた方が理解しやすいかもしれない。

さて、映画そのものの印象についても少々。PG12指定になっているのは拷問や殉教のシーンがリアルに描かれているからだろう。非常に迫力がある。主人公と一緒に日本にやってくるガルペ神父は、スターウォーズのカイロ・レンにダブってしまった。スターウォーズを見すぎの人は要注意だ。

(窪塚洋介が演じるキチジローは非常に重要な登場人物)
Sil

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2017年1月21日 (土)

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場

■映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場 」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ

何か見たいな…ということで。事前のプロモーションとかもそんなに多くはなかったはずで、予備知識はネットで予告編を見たくらいでしたね。

ストーリーはこんな感じ。
「イギリス軍諜報機関のキャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、ケニア・ナイロビ上空の偵察用ドローンからの情報をもとに、戦地から遠いロンドンでアメリカとの合同軍事作戦を指揮している。大規模な自爆テロ計画の情報をキャッチした彼女は、アメリカの軍事基地にいるドローンパイロットのスティーブ(アーロン・ポール)に攻撃を命じるも、殺傷圏内に一人の少女がいることが判明する…。」(シネマトゥデイ)

ずばり「現代の戦争」を描いた作品。「戦争」と言われて日本人がイメージするのは、おそらく第二次世界大戦のような「国と国との総力戦」だろう。ニュースでは各地での「対テロ戦争」やシリアのような「内戦」が頻繁に報じられているにもかかわらず、われわれの戦争のイメージはなぜか第二次世界大戦で止まっている。しかし、それでは今後、戦争や平和の問題を考えていくうえで不十分ではないだろうか。この映画を見て改めてそんなことを痛感させられた。

といっても決して難しい映画ではない。むしろ、ある対テロ作戦を題材にした飛び切りのサスペンス映画であり、冒頭からラストまで一気呵成のエンターテインメント作品になっている。大きなテーマを扱いながら娯楽性をちゃんと確保し、なおかつ娯楽だけに終わらせてもいない。制作者の素晴らしい手さばきだと思った。

物語は一つの特殊作戦のはじまりから終わりまで、わずか数時間の出来事に絞り込んでいる。この作劇がまずうまい。監視していた大物テロリストが自爆テロの準備中であることがわかる。早く阻止しないと大勢の死傷者を出してしまう。そこでドローンを使って攻撃しようとするのだが、テロリストのアジトのすぐ前では一人の少女がパンを売る屋台を出していた。このまま攻撃したら罪のない少女を巻き込んでしまう。しかし、時間が経てば自爆テロが決行されてしまう…。

「大勢の命を救うために関係のない少女を犠牲にしていいのか」…この究極の判断を限られた時間で下さないといけない。さまざまな意見がぶつかり、最終的な決断を迫られた政治家たちはみんな逃げようとする。そうこうするうちにも時間は刻々と過ぎていく。まさに手に汗をにぎるすさまじいサスペンスがこの映画の大きな見どころとなっている。

もう一つのポイントはこの作戦が、ドローンを使ってほぼ全部地球の反対側といっていい遠距離から行われていることだろう。ここにまさに「現代の戦争」の特徴がある。狙われている方は自分たちが監視されていることにも気づかないうちにピンポイントでミサイルを撃ち込まれる。が、狙っている側がいるのは数千キロ離れた絶対的な安全圏だ。ものすごい非対称性である。

こうしたドローン攻撃については、よく「ゲーム的な感覚で殺人を行うことになるのではないか」という指摘がされている。しかし、この映画を見ると少し印象が変わった。攻撃側はまさに(タイトルでもある)「神の視点」から地上を見て、生殺与奪の力を握ることになる。そこにあるのは「ゲーム感覚」ではなく、「ひょっとして自分は神の領域を侵しているのではないか」という不安、怖れではないのだろうか。本作でも作戦を終えたパイロットたちが心身ともに疲弊している様子が描かれていた。身体が安全圏にあるからといって精神まで安全であるとは言い切れない。安全な戦争などないのだということがよくわかる。

また、ドローンを使った攻撃もそれだけで完結できるものではなく、地上からの情報が非常に重要だということも描かれている。本作でも、小鳥や虫のようなカメラロボット(これらはさすがに架空のガジェットだろう)を操る現地エージェントが登場する。彼らの任務はきわめて危険で、いつ見つかるかというサスペンスも物語のもう一つの柱になっている。ここでも違う意味で、100%安全な作戦、戦争はありえないのだと思わされる。

その他にも、テロリストと同じ地域に住んでいてもほとんどはごくまともな住民だということ、米軍が学資返済を利用して経済的徴兵を行っていること、報告書の改ざんがありえること(冒頭に「戦争の最初の犠牲者は『真実』である」…という箴言が出てくる)…など、現代の戦争を取り巻く複雑な問題が数多く散りばめられている。

非常に盛りだくさんな情報映画でもあるのだが、脚本には無理がなく物語は一直線に進んでいく。また、登場人物の個性の描き分けもちゃんとできている。こういう「時事問題映画」は、「実話もの映画」と並んでアメリカ映画のとても強いところだと思う。真面目なドキュメンタリーとかではなく、問題意識を残しながらエンターテインメトに昇華した作品を日本映画などでも見たいのだが…。見終わってそんなことも考えた。

(人間ではなくAIが作戦を実行するようになったら…また別の問題が発生しそう)
Eye

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2017年1月15日 (日)

人魚姫

■映画「人魚姫」 新宿 シネマート

チャウ・シンチー監督の新作。前作の『西遊記 ~はじまりのはじまり~』がおもしろかったのと、新聞の映画評が最高点をつけてたので。平日の昼間からお客さんけっこう入ってましたね。

ストーリーはこんな感じ。
「青年実業家のリウ(ダン・チャオ)は、リゾート開発のため香港郊外の美しい青羅湾を買収する。しかし、そこには絶滅の危機にひんする人魚族が住んでいた。彼らは、美しい人魚のシャンシャン(リン・ユン)を人間の女性に変装させ、刺客としてリウのもとに送り込む。ところがリウとシャンシャンは惹かれ合い、やがて人魚族の存在が人間に知られてしまう…。」(シネマトゥデイ)

時代劇だった『西遊記』に対して本作は現代劇。ファンタジック・コメディーとしての「こなれ方」からみると前作に軍配を上げたくなる感じかな。でも、今回も十分におもしろい。特に後半は一気呵成。では、何がそんなにおもしろいのか。言葉ではなかなか説明しにくい。コメディーなのでお笑いをいちいち解説するのも野暮だし…。とにかく見てほしい!としか言えないのである。

ふと思ったのだが、これと同じ設定の作品を日本でつくったとしても、成功するイメージがなかなかわかない。やはり、チャウ・シンチー監督ならではの演出の勢い、グルーヴ、バランス感覚のようなものが非常に大きいと思う。また、コメディータッチの大げさな演技も、中国語だとうまくハマるというのもある。日本語はもちろん英語のノリとも違う。まさに中華圏ならではの映画といえそうだ。

コメディー的な側面が注目されがちだが、同時に物語の骨格となる筋立て自体も非常によく出来ている。というか、ストーリーそのものは昔からよくある「女刺客がターゲットに恋してしまう」「ターゲットも女刺客との触れ合いを通じて自らの犯していた罪に気づく」というもので、けっこう鉄板な図式。だから安心して見られる。欲をいえば、この鉄板構造そのものをからかうような展開があればもっと良かったのかもしれないが、今回はそこまでは踏み込んでいない。むしろ、環境問題をテーマにすることで、現在中国で進んでいる拝金主義を背景とする環境破壊を批判しているということなのだろう。

キャストでは、なんといってもヒロインに抜擢された19歳の新人女優、リン・ユンの魅力が爆発! 必ずしも正統派美人というわけではないのだが、なんともいえない愛嬌があってかわいい。そのかわいい彼女を情け容赦なくボコボコにするチャウ・シンチー監督。お涙頂戴ではないのだが、「ひどいわ~」と笑っているうちに、いつしかシャンシャン(リン・ユンの役名)に感情移入してしまう。コミカルな演技が出来て、雰囲気もとても親しみやすいので青春もの映画などでもハマるのではないだろうか。

脇ではタコ兄のショウ・ルオがいい味。彼のシーンは基本コメディーなのだが、ほぼ100%確実に笑わせる。若き富豪リウ役のダン・チャオは、シャンシャンと親しくなる遊園地でのミュージカルシーンなどが印象に残る。

(リン・ユンさんは「ジェリー・リン」と名乗ることもあるみたい)
Mar2

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