映画・テレビ

2018年2月10日 (土)

「星くず兄弟の新たな伝説」東京最終上映 2018/2/9

■ツイッターに書いただけだと流れてしまうので、こちらにも転載。

テアトル新宿での映画「星くず兄弟の新たな伝説」東京最終上映より帰還。終映後トークイベントあり(約30分)。手塚眞監督の司会で出演者・作曲者・スタッフら…総勢14名の舞台挨拶と最後に「スターダスト・ブラザーズのテーマ」を全員で生歌披露!というスペシャルなシーンに立ち会うことができたよ。

登壇した出演者は三浦涼介・荒川ちか・ISSAY…はじめ7名の皆さん。セクシーナースを演じたTORICOさんの本業は映画監督だとか、スクリプター役の椿かおりさんは山田孝之のお姉さんだとか、ちょいちょい小ネタをはさんでくる手塚監督のトークが本職の司会者並みにうまかったね。

作曲陣では「星くず」生みの親ともいえる近田春夫、「スターダスト・ブラザーズのテーマ」を書いた赤城忠治…のお二方を見られて、さらに生歌まで聴けてしまったのは超ラッキーだったわ~。近田さん、ビール片手にご機嫌で最後の歌でも「俺は声が大きいからマイクいらない」とお元気そうで何より!

映画自体はこの日が2回目。やっぱり初回よりサントラを聴いて曲も覚えた今回の方が断然楽しかったね~。第一印象ではけっこう穴がいっぱいある気もしたけどリピートしてるとそこにいろんな解釈の余地があることにも気づかされる。前作同様カルト映画化していく予感がむくむく湧きおこってきた。

監督によると全国でのロードショー公開は続くとともに、旧作の上映活動にも取り組んでいるそう。早稲田松竹みたいな名画座で「新旧二本立て上映」とかぜひ実現していただきたいものである。楽しみに待ちたい。

初回に見た時の感想はこちら

「星くず兄弟の伝説」スターダスト・ブラザーズ

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2018年1月27日 (土)

星くず兄弟の新たな伝説

■映画「星くず兄弟の新たな伝説」 テアトル新宿

1985年の前作「星くず兄弟の伝説」が好きだったので、続編製作のニュースを聞いた時から「ぜひ見たい!」と楽しみにしていた作品。平日だったのでお客さん少なめだったけど…。

ストーリーはこんな感じ。
「近未来。かつてカン(三浦涼介)と共にスターダスト・ブラザーズとしてスターダムに上るも、今では東京の下町でバーを営むしがない身となったシンゴ(武田航平)。彼はもう一度スターになりたいと、人気DJになったカンと月を訪れることに。アストロ南北(井上順)が社長を務める芸能事務所アストロ・プロモーションに所属するが、場末のショーパブでのデビューにしょげてしまう。ある老人からスターになるために必要な『ロックの魂』の存在を聞かされた二人は、それを探す冒険に出るが…。」(シネマトゥデイ)

前作がどれくらい好きだったかというと劇場に少なくとも3回は行って見ている。当時は入れ替え制がなく、続けて2回見たりもしていたから、延べだと4~5回は見ているだろう。その後、まだ1万円くらいしていたビデオソフトも買って、自宅でもちょいちょい見直していた。ただ、それがベータ(!)のソフトだったので再生機器を更新しなくなってからは、もう20年以上は見ていないが…。

そんな前作の「リバイバル上映」が、本作公開の前週、期間限定で行われたのだが、たまたま忙しくて行けなかった。惜しいことをしたものだ。戸川京子さんのマリモちゃん、また見たかったな~。…というようなファンなので、思い出補正もあり、相当ハードル上げまくった状態で本作も見たのだった。

全体の印象としては、30年以上前の作品を、その個性的なノリを大きく変えずに、うまく現代に蘇らせているな…という感じだろうか。ストーリーの流れも、大枠では前作をなぞりつつも、途中で主人公たちが女性化したり、舞台がいきなり西部劇風になったり…と変化をつけていて、意外性もある。また、ロックミュージカルでもっとも肝心な楽曲とそのシーンはどれもとても良い。懐かしい「スターダスト・ブラザーズ」のテーマ曲がそのままなのもうれしかったね。初めて見る人は「なんだ、こりゃ?」と思うかもしれないが、ファンにとっては「待ってました!」という仕上がりだったと思う。

その上でやや気になったところもあったかな。オープニングから月世界でデビューするあたりまでは非常にテンポが良いのだが、中盤になるとやや「もたる」印象も。全体で2時間8分の作品だが、もっとスピード感のある展開で短くしてもよかったのでは。また、同じセットをいろんな場面に使いまわしているので、つながりがなんとなく不自然なところもあったような…。気のせいだろうか?

主人公たちが女性化したシーンでは、武田航平・三浦涼介コンビが、田野アサミ・谷村奈南コンビに交替。ポジティブに考えるとダブル主役で二倍おいしい…ともいえるのだが、逆にどっちも印象が薄めになってしまったともいえる。武田・三浦コンビはスターダスト・ブラザーズがばっちりハマってたし、田野・谷村コンビもそれぞれの持ち味を生かして好演していただけに、中途半端になったのは惜しかった。とりわけ田野アサミさん。表情も豊かだし、あらゆる出演シーンでチャームがあふれていたね。武田・三浦コンビでずっといってたら、彼女の魅力には触れられなかったわけで…悩ましい。

また、前作にはなかった要素として、監督はじめ撮影クルーが画面に写り込み、なおかつ演技までしてしまう、いわば「メタ映画」的な演出が何か所かであった。途中まで「このくだり必要?」と思いながら見ていたのだが、最終盤のところで「やっぱり意味はあったのかな…?」という気になった。
本作の物語は、最後までドンデン返しが続いて、いったんややダークな、後味のよくない結末を迎える。思い返すと、前作もポップでカラフルな映像とは裏腹に、最後はやや陰鬱な「出生の秘密」「血の物語」という色を帯びて幕を閉じていた。つまり、後味に「ある種のえぐみ」を持たせるというのは、手塚監督の作家性の一部でもあるのではないか。
ところが、本作では最後の最後に「他人に丸投げ」という体でもう一度エンディングをやり直すのである。「監督が大人になって丸くなった」ともとれるし、「みんなに気持ちいいエンディングにしろと言われるからいちおうしてみたよ」という不貞腐れともとれるし、「見る人それぞれのエンディングを考えてくれていいんだよ」というメッセージにもとれる。何が正解なのかはわからない。でも、何らかの意図があってのメタ映画的展開だったことは、最後になってようやくわかった気がした。

いずれにしてもこういうミュージカル映画は一回だけ見ておしまいではもったいない。曲を覚えて「キタワァ~!」と思いながらノリノリで見るのが醍醐味というものだろう。近いうちにまた見に行きたいね。

(新コンビもいいけど改めて久保田慎吾氏のキャラこそが「星くず兄弟」だったことを実感…)
Star

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2018年1月 7日 (日)

ジャコメッティ 最後の肖像

■映画「ジャコメッティ 最後の肖像」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ

2018年最初に見た作品。公開翌日の土曜…ということで、大々的に宣伝してるわけではない映画だけど、けっこうお客さん入ってたね。

ストーリーはこんな感じ。
「1964年のパリ。アメリカ人作家のジェイムズ・ロード(アーミー・ハマー)は、著名な芸術家ジャコメッティ(ジェフリー・ラッシュ)から肖像画のモデルを依頼される。快諾するロードだったが、すぐに終わるはずだった絵の制作は、ジャコメッティの苦悩により終わりが見えなくなる。その過程でロードは、ジャコメッティの意外な素顔を垣間見ることになる…。」(シネマトゥデイ)

実際にあった話の映画化。つまりこれも実話ものということになるだろう。芸術家の晩年を描いた実話もの映画というと『ルノワール 陽だまりの裸婦』(2013)を思い出すが、本作も有名芸術家の作品がどのようにして生み出されていたのか、その過程がけっこうリアルに描かれていて興味深い。

物語は、語り手であるロードがジャコメッティのモデルを引き受けるところから始まる。ロードはアメリカ人で帰国を2日後に控えている。しかし、1~2日あれば終わる…と言っていた肖像画制作はなかなか終わらず、ロードは何度も帰国便の予約変更を余儀なくされる。それでも、彼がジャコメッティのもとを去らなかったのは、カンバスをはさんで対峙するジャコメッティとの芸術問答や、その暮らしぶり、周辺の人間関係の観察…などがおもしろかったからだろう。最終的にロードは18日間もモデルを続けることになる。帰国後、彼はその体験を本に書き、ジャコメッティはこの出来事の2年後に亡くなった。結果としてロードの肖像画は、ジャコメッティが手がけた「最後の肖像画」となる。映画の原題はシンプルに『FINAL PORTRAIT』だ。

本作に描かれるジャコメッティの行動はとにかく「芸術家らしい」。制作に対するすさまじいこだわり。彼はすでに高く評価され、芸術家としてのポジションも確立した後だというのに、たった一枚の絵に悪戦苦闘し、「くそっ」「これじゃない」と何度も自分に絶望しながら、ひたすらやり直しを続ける。そして、その作品は「決して完成することはない」と独自の芸術論を語るのである。

少しでも「何かを作る、生み出す」仕事を経験したことがある人なら、この創作者としての「生みの苦しみ」は非常によくわかると同時に、そこまで徹底的に「こだわれる」ことにも感心するに違いない。たいていは、いつしか「まあ80点ならいいだろう」くらいな感じで自分なりの完成ラインをつくり、効率を優先させていくものなのだ。やはりこのあたりは、本物の芸術家と凡人の違い…なのだろうと思わざるをえない。

キャラクターも強烈。モデルのロードが帰国のスケジュールが迫っていることを伝えても、まったく意に介さない。「そうなの? じゃあ、続きはまた明日」。翌日アトリエに行くと、「とりあえず散歩に行こう」「何か食べに行こう」と超マイペース。売れっ子だから画商からは大金が入ってくるが、狭いアトリエ暮らしでお金には何の興味もなさそうだ。行きつけのカフェでの食事風景もある意味でオタクそのもの。その一方で恋愛大国フランスらしく、奥さんがいるのになじみの若い娼婦を自宅に出入りさせ、彼女の姿が少しでも見えなくなると落ち込んでイライラしたり…。ひどいオッサンなのは間違いないが、どこか可愛げもあって憎めないのである。

映画を見終わった後、本物のジャコメッティの写真を見て、演じたジェフリー・ラッシュが姿かたちまでそっくりであったことに驚かされた。奥さんや弟など実在した人物も実際にかなり近づけているようだ。ロードが観察し記録した細かいエピソードとともに、映像面でも「実話もの」の名に恥じない、リアルなジャコメッティを感じられる作品だといえるだろう。

ただ、短期間のつもりでモデルになったら思った以上に長引いた…というストーリーの流れもそうだし、芸術家らしい作品へのこだわりや恋愛面での自由奔放さなど、ある程度予想していたらその通りだったという意味で、意外性はあまりなかったのも確かなところ。唯一、娼婦のカロリーヌとのエピソードには吹っ切れた感があり、フランス・ギャルの曲を使った演出面も含めていいアクセントになっていたと思う。ここをもう少しだけ膨らませてもおもしろかったかも…?

(このアトリエの様子も残された写真をもとに忠実に再現しているそう)
Jaco

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2017年12月20日 (水)

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

■映画「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」 新宿 TOHOシネマズ

ディズニー移籍後、年末の恒例行事みたいになってきた「スターウォーズ」シリーズ。これまでは2年続けて公開初日に見たのだけど、今回はスケジュールの関係などもあって2週目に。

ストーリーはこんな感じ。
「惑星オクトーの孤島で隠遁生活を送っていた伝説のジェダイ・マスター、ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)を探し出したレイ(デイジー・リドリー)。ルークのものだったライトセーバーを差し出すが、彼はレイの目の前でそれを捨ててしまう。ルークはレイをジェダイにする気がないが、レイは諦めずにルークの後について行く。やがて、R2-D2に説得されたルークは、翌日からレイの修行を開始するが…。」(Wikipediaより)

公開からやや遅れて見たので批評もいくつか目に入ってきた。どうやら海外でも日本でも賛否両論、真っ二つのようだ。先入観は持たない方がいいのだろうが、どうしても気になってしまうので、「賛」と「否」の代表的なものだけざっと頭に入れて見に行った。

見終わって、一晩寝た後の感想をまとめると、「見てる間はそれなりにおもしろかったけど、後で振り返ってみるとツッコミどころも多いかな」…という感じだろうか。

特にライムスター宇多丸氏が「ムービーウォッチメン」で指摘していた、脚本の粗さやルークへのリスペクトが感じられないキャラ変…などはたしかにその通りという気がしたね。特に、ルークのキャラ変については、エピソード6と7の間をつなぐ作品をつくって、何があったのかきっちり解き明かしてくれないと、この後ずっともやもやが残りそうだ。

ただ、一般的に評価が高くないプリークエル(エピソード1~3)も個人的にはけっこう好きだったりする。しかも、公開直後からではなく、後からDVDなどで何度も見ているうちに好きになっていった感じだ。それと同様に、本作についてももう少し時間がたったらどう感じるようになるだろうか…とも思う。10年くらい経ったら、案外「これはこれでおもしろい」と言ってたりするかも…。

さて、「ツッコミ」とは少し違うが、自分としてより気になったのは、スターウォーズの本質といっていい「冒険物語のワクワク感」がやや薄めだったこと。本作でいちばん「冒険っぽい」部分を担っているのはフィンとローズのコンビなのだが、どうもこのパートに高揚感が少ない。ローズ役のケリー・マリー・トランが「ほっしゃん」に見えてしまうせいばかりではあるまい。フィンにも主役級の魅力がまだないからではないか。

スターウォーズ過去作では、1~3はオビ=ワンとアナキン、4~6はルークとハン・ソロ…と主役はほぼ2人だったので、物語はせいぜい2つのストーリーが同時進行するだけですんでいた。ところが、本作ではレイ、ポー、フィンの3人がそれぞれ違う場所にいて話が進んでいく時間がけっこう長い。しかも、レイはジェダイ見習い中、ポー、フィンは一般人。主役級のキャラといえる魅力があるのは、まだレイだけといっていいのに、そうでない残りの二人に全体の3分の2の物語をまかせているのだから、インパクトが薄くなるのは当然といってもいいかもしれない。

影が薄いといえば、チューバッカ、C-3PO、R2-D2など旧作でいい味を出していた脇キャラもほんとに「出てただけ」状態で、完全に役不足。そのへんがまったく出なかった「ローグ・ワン」でもあれだけおもしろくできたのだから、活躍させないならあえて出さなくてもいいのでは…とも思ったり。次作エピソード9は新々三部作のひとまずの完結編。果たしてどう展開していくのだろうか。

(レイがすごいフォースの持ち主ということはわかったがまだ謎も多い…)
Lastj

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2017年12月 8日 (金)

探偵はBARにいる3

■映画「探偵はBARにいる3」 新宿 TOHOシネマズ

このシリーズは前々作、前作と続けて見ているので、今回もその流れで公開2週目に。

ストーリーはこんな感じ。
「助手の高田(松田龍平)が探偵(大泉洋)に、行方不明になった大学生・麗子(前田敦子)の捜索話を持ってくる。調査を進めていくうち、彼らはモデル事務所の美人オーナー・岬マリ(北川景子)にたどり着く。探偵と高田はミステリアスなマリに振り回されるうち、やがて大きな事件に巻き込まれ…。」(シネマトゥデイ)

シリーズ三作目。一作目から二作目が約1年半のインターバルなのに対して、二作目から本作まではなぜか3年半も空いている。どんな事情があったのかはわからないが、見はじめるとすぐに、あのススキノの探偵たちの世界に引き込まれてしまった。三作目にして、すでに「おなじみの…」と言いたくなる安心感、そして間隔がやや空いたことをまったく感じさせない安定感があったね。

全体的には、過去二作と比較してもかなりバランスのいい仕上がりになっていたのではないだろうか。女子大生失踪事件を調べていくうちに、麻薬密輸に関係する殺人事件が絡んできたり…と、いちおうの派手さはあるのだが、最後の最後に至っても政治や社会問題に発展するような「大きすぎる話」にはならないところがいい。基本はススキノというローカルエリアの人情話にうまく収斂させている。
また、前作(二作目)で若干気になった絵柄だけ派手にしたようなアクションや、探偵コンビの異常な腕っぷしの強さ…といった要素も控えめになっていて、地に足がついた感覚に戻ったのも好印象。シリーズの魅力の原点に立ち戻っているような気がした。

脚本の良さということでいえば、冒頭のつかみ一発という感じのキャバクラでの(バカバカしい)騒動を、その後のストーリーの中でもちゃんと生かしていたりする。しかも、一度ならず二度、三度と。エピソードの有効利用というか、なかなか上手いのである。
終盤、肝心の事件の真相を明らかにする部分は、非常にわかりやすく、まるで噛んで含めるような丁寧な解説をしていて、多少くどいかなという気もしたのだが、これも大衆向けエンターテインメントらしさということなのかもしれない。これなら「最後がよくわからなかった」という人はいないだろう。

その一方で、物語の本筋と直接は関係ないある展開をじっくり種まきした後、エンドロール後の衝撃的なオチにつなげるという、すごい遊び心にも感心させられた。これもこのシリーズらしくてとてもおもしろかったね。少しくらいお腹が空いてても最後まできっちり見ないと損しますぞ~。

シリーズ1作目の感想を読み直してみると、「大泉洋は大泉洋にしか見えない」などと書いている。しかし、三作目ともなるとちゃんと「探偵」に見えてくるから不思議なものだ。無敵の高田よりも強い相手が現れたり、物語の空間はますます奥行きを増している。次作がいつになるかわからないが、また楽しませてほしいね。

(細かいのはさておき大きなツッコミどころはない良いストーリーだったと思う)
Bar

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2017年12月 2日 (土)

GODZILLA 怪獣惑星

■映画「GODZILLA 怪獣惑星」 新宿 TOHOシネマズ

11月中に何かもう1本見たいなということで。「シン・ゴジラ」とは打って変わってのアニメーション版ゴジラ最新作。新たなシリーズものの第一作となっている。

ストーリーはこんな感じ。
「ゴジラを相手に戦ってきた人類は、次第に力を失い地球を脱出。恒星間移民船・アラトラム号でくじら座タウ星eにたどり着いたが、そこは人類の生存には過酷な環境であることが判明する。青年ハルオは移住の道が閉ざされたのを機に、地球に帰還して両親を殺したゴジラを倒そうと決意。長距離亜空間航行で2万年の歳月が流れた地球に戻るが、地上の生態系の頂点にはいまだゴジラが君臨していた…。」(シネマトゥデイ)

東宝制作のれっきとしたゴジラ映画だが、設定のぶっ飛び具合はこれまでのゴジラ・シリーズの中でも群を抜いている。まず、舞台は2万年後(!)。移住先惑星を求めて20年以上も恒星間飛行を続けるうちに、地球ではそれだけの時間が経ってしまったのだ。しかも、宇宙旅行の技術などを教えてくれた異星人(!)とのコラボは対ゴジラの戦いでもそのまま続き、もはや完全に仲間といえる関係になってたりする。

そういう超SF的な展開を冒頭の数分でサクサク説明すると、物語はメインディッシュの人類VSゴジラの戦闘に突入していく。本作のゴジラは熱核兵器(いわゆる原爆、水爆のたぐい)を150発同時に受けても死なない(!)というほとんど不死身な相手。そこをどう倒すのかが本作の見どころとなる。「対怪獣戦闘アクションものSF」としてはテンポもよく一気に見ることができたね。

ただ、シリーズものの第一作ということで(三部作の構想らしい)、物語の最後にドンデン返し的なさらに巨大な謎が提示されて終わる。結局全部見ないとちゃんとした評価はできない感じ。二作目は5月公開予定なので、こうなると行きがかり上、次作も見てしまいそうだ。

というわけで、いちおう続けて見たいとは思ってるのだが、やはり日本アニメならではの独特のクセみたいなのがある映画だなとも感じた。主にはセリフまわりと音楽の使い方だろうか。いわゆる「アニメマナー」で作られているので、そういうのに慣れてる人にはいいのだろうが、普通にSF映画好きくらいの人だと「もうちょっと自然にできんのかね…」とつい思ってしまうというか…。物語や映像はこのままでいいので、「音まわり」だけまったく違うテイストで仕上げたバージョンなんかも見てみたい気がしたね。

(90分もないコンパクトな作品なのでいずれ三部作一挙上映とかやってほしいね)
Godz

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2017年11月26日 (日)

火花

■映画「火花」 渋谷 TOHOシネマズ

予告編と新聞の映画評で「良さそうだな」という予感がして公開2日目に。お客さん多いかなと思って入ってみたら、そうでもなかったような…。

ストーリーはこんな感じ。
「徳永(菅田将暉)は、お笑いコンビ『スパークス』としてデビューを果たすものの、いっこうに売れる気配がなかった。ある日、営業に出向いた熱海の花火大会で4歳年上の神谷(桐谷健太)と知り合う。お笑いコンビ『あほんだら』としてステージに立った神谷が見せた型破りな漫才に衝撃を受け、徳永は神谷に弟子入りを願い出た…。」(シネマトゥデイ)

原作はベストセラーとなった又吉直樹の芥川賞受賞作。とはいえ未読なので、どこまでが原作の良さでどこからが映画版の良さなのかはわからない。しかし、約2時間の上映時間の間、ずっと物語に惹きつけられていた。登場人物たちの「青さ」はまさに青春映画そのものだったし、板尾創路監督の演出は意外なくらい正攻法で、画面からはどことなく昔の(1970~80年代頃の)日本映画のような香りが立ち上っているような気がした。見終わった時には、素直に「いい映画を見せてもらった…」という気持ちになった。

「お笑い」の世界を舞台とした作品である。しかし、この映画で描かれている登場人物たちの努力や葛藤、悩み、迷い、怒り…などは、何もお笑いや漫才だけに固有のものではなく、おそらくあらゆる「芸事」、あるいは「表現する事」を経験した人にとっては普遍的と感じられるものなのではないだろうか。ある瞬間に「これは音楽の世界でも同じことだな」と気づいてから、よりいっそう物語の世界が身近になった気がした。漫才コンビをバンド、ネタを楽曲、何を笑いにするかを音楽性…と考えればまったく同じなのである。

「自分がいちばんおもしろいと思う、自分だけの笑いを追求したい」「でも、それでは世間一般に届かないし、テレビにも出られない」、その狭間で葛藤を続けながら「ああ、売れてえなあ」と呻く…。自分らしさにこだわるのも、成功したいという思いも、突き詰めれば「承認欲求」である。「自分が何者かであってほしい」、その身を焦がすような渇望こそが若さではないのだろうか。だから、若者たちはお笑いや音楽や芸術に人生を賭ける。この映画にはそんな青春の夢と痛みがめいっぱい詰まっており、同時に尖っていた彼らが10年の年月を経て、いやおうなしに丸くなっていく様子も描かれている。青春はやがて過ぎ去るが、その残り香はいつまでも消えない。それもまた人生の機微というものなのだろう。

主演の人気俳優二人が最高のハマり具合を見せてくれる。今ノリにノッてる菅田将暉はどこを切り取っても良い。とりわけ、前半小出しにしていた漫才シーンを一気にフルサイズで見せるクライマックスは圧倒的。お笑いで泣かされた! 桐谷健太も神谷という人物の「何考えとんねん」感をばっちり体現してたね。冒頭、熱海のチンピラにへこまされた徳永と入れ替わりにステージに出ていく時の「カタキ取ったるわ」の一言からシビれる。そして、その後10年にわたって二人が交わす言葉の格闘技みたいなボケ、ツッコミのくんずほぐれつ。先輩後輩でありながらライバルでもある関係性がよく表現されていたと思う。脇では徳永の相方役、二丁拳銃の川谷修士が自然でとても良かった。

東京が主な舞台なのだが、その中でも吉祥寺のハモニカ横丁や井の頭公園が重要なロケ地となっている。個人的には比較的知っている場所が多く、ご当地映画として楽しめたところもあったかな。そのへんも含めて映画としての好感度は高かったね。

最後にひとつだけ気になった場面を。ある夜、徳永が工事か何かのアルバイトからアパートに帰ってくると、血だらけの男が東京タワー(?)に突き刺さっているようなイメージが広がる。あそこだけは何なのかよく理解できなかった…。原作にあるのだろうか?

(飲み屋のシーンがけっこうあって、見ていると自分も飲みたくなってくる…)
Hibana

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2017年10月30日 (月)

ブレードランナー 2049

■映画「ブレードランナー 2049」 日本橋 TOHOシネマズ

けっこう前から予告編を見ていて楽しみにしていた作品。たまたま時間がとれたというのもあるけど、公開初日に劇場に足を運ぶことになった。平日(金曜)夕方ながらお客さん多めだったね。

ストーリーはこんな感じ。
「2049年、荒廃と貧困が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない『レプリカント』が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。LA市警のブレードランナー“K”(R・ゴズリング)は、ある事件を捜査するうち、レプリカント開発を独占するぐウォレス社の巨大な陰謀を知り、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く…。」(公式サイトより)

SF映画の名作「ブレードランナー」。その35年ぶりの続編となる作品である。前作も公開時に劇場で見ているものの、オタク的にハマっていたわけではないから、その後はテレビ放映時にもう1回見たくらいだろうか。あまり細かくは覚えてはいない状態。そんなわけで、前作と本作をつなぐ3本の公式動画(「2022」「2036」「2048」)を見るなど、多少の予習をして臨んだのだった。

結論からいえばかなり好きな仕上がり。2時間43分という長尺が苦にならずに最後まで惹きつけられた。もともと「ブレードランナー」という作品自体、ストーリーそのもののおもしろさで勝負するというよりも、一場面一場面の雰囲気やSF的パースペクティヴの魅力…といったものに重きを置く映画だったように思っているのだが、本作もそのノリは引き継いでいるのではないだろうか。どのシーンも印象的で、SF映画らしい名場面、そして素晴らしい映像の連続である。殺伐とした風景の中に「荒廃の美」とでもいうべきものがあふれている。大いに酔わされた。

物語をざっくり表すならば、前作の主人公だったデッカードとレイチェルの「その後」を、30年後のブレードランナー「K」が解き明かしていくというもの。本作では「K」自身がレプリカントであることは映画が始まるとすぐにわかる。そして、わりと早い段階で「K」とデッカードの関係性も暗示されるものの、「はは~、さては…」とストーリーの先を予想できたつもりになっていると見事にどんでん返しをくらう。その結果、「記憶すらも自分のものでないレプリカントである自分とは何なのか」という、まさに「ブレードランナー世界」ならではの問いの重さに満たされる結末が訪れる…。

現実にレプリカントというものが存在せず、他人に記憶を移植された経験もないわれわれにとって、この問いは自分の身に置き換えて考えることがほぼできないものだ。また、何か実際の社会問題を直接的に反映させた比喩といったものでもなさそうである。しかし、本作を見ていると、「もしそういう立場に置かれたら…」と考えて、われわれはさまざまな思いをめぐらせ、感情にひたる体験をしてしまう。SFの「S」は一般的にはサイエンスであるが、本作では同時にそれが「スペキュレイティブ」でもあるということを改めて実感させられる作品だと思った。

ここからは、見終わって感じたことをいくつかメモ。

タイトルの「2049」は当然、西暦2049年のことなのだが、実際にその年になっても本作で描かれているような世界が現実となることはほぼなさそうである。そもそも前作が2019年を舞台にしており、最初のレプリカントが製造されたのが2017年(!)なのだから、無理に決まっているのだ。あと100年か200年後でもどうか…というくらいだが、ここは割り切って「どこか別の世界の2049年」と考えるのが妥当というものだろう。

そして、ブレードランナーといえば…の「雨に打たれるスラム化した未来都市」描写。前作公開当時は非常に新鮮だったのだが、その後あまりにも影響力が大きかったため、いつしか未来都市の風景の定番と化してしまった。本作でも本家ならではの映像が楽しめるが、できれば「あれから30年たってさらにこうなりました」という新たなビジョンを見せてくれたら最高だったかもしれない。

「スターウォーズ」に続いて往年の名作に同じ役で出演のハリソン・フォードが話題だが、個人的には少し前に見た「スクランブル」にヒロイン役で出ていたアナ・デ・アルマスにも注目していた。役はレプリカントではなく、主人公がガールフレンドがわりにしているバーチャル・キャラクター。良かったね~。欲しくなった人も多かったのではないだろうか。ただ、あれくらいの技術があるならキャラのルックスもスキンで自由に変えられて当然だろう。デフォルトのままで使っていた「K」はあまりオタク気質がなかったということなのか? それともレプリカントだから「女性の好み」という概念がそもそもなかったのか? たぶん後者という設定なのかな…。

というわけで、すべてが完璧というわけではないけど、場面毎にあれこれと語りたい要素が盛り込まれている本作。リピート鑑賞してもそのたびに新しい発見がありそうな気がする。

(ウォレス社のシーンはまさに神殿。神の領域という意味なのか…)
Br2049

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2017年10月22日 (日)

バリー・シール/アメリカをはめた男

■映画「バリー・シール/アメリカをはめた男」 錦糸町 TOHOシネマズ

劇場でよく予告編を見た作品。公開初日に行ったのだけど、ものすごく期待していたからというわけではなく、単に日程の関係でその日がいちばん都合がよかったので…。

ストーリーはこんな感じ。
「民間航空会社のパイロットでトップクラスの操縦技術を持つバリー・シール(トム・クルーズ)は、CIAにスカウトされる。偵察機のパイロットとなった彼は極秘作戦の過程で麻薬組織と接触、麻薬の運び屋としても才能を発揮する。政府の命令に従う一方で、違法な密輸ビジネスで荒稼ぎするバリーだったが…。」(シネマトゥデイ)

これも「実話もの」映画。近年の洋画は本当に実話ものの企画が多いのだけど、古今東西のすべてが材料になるということで、おもしろいネタはまだまだ尽きないようだ。

本作も、題材になったバリー・シールという人物自体に関する予備知識はまったくなかったのだが、息をもつかせぬスピーディーな展開で最後まで一気に見せられてしまう。予告編などで強調されていたアクションコメディ的なノリはもちろんあるのだが、同時にけっこう骨太な社会派映画としての筋もしっかり通していて、なかなかあなどれない。おもしろさと奥の深さを兼ね備えた佳作ではないだろうか。

映画の冒頭、大手航空会社の旅客機パイロットである主人公、バリー・シールが飛行中にいきなり自動操縦装置を切り、機体を急降下させるエピソードが出てくる。客室では酸素マスクは降りてくるわ、乗客は悲鳴をあげるわで一騒動だ。しかし、バリーは飛行機をすぐにもとの状態に戻すと、「乱気流でした、もう安心です」とシレッと機内放送をする。
つまり普通の人ならやらないようなこと、ルール上してはいけないこともちょっとしたイタズラ心で抵抗なくできてしまう人物…それがバリーなのだ。罪悪感もなく、一種のサイコパスといってもいいかもしれない。この最初のエピソードが後々のとんでもない物語すべての伏線になっていく。非常に印象的な導入部分である。

そんな大胆な性格だから、CIAにパイロットとしての腕を見込まれて仕事を依頼されると、危険な任務もバリバリこなす。対空砲で撃墜されそうになっても全然平気。普通なら「もうやりたくない!」となるところだが…。どこか頭のネジがはずれているのだろう。なおかつ、任務先の南米で麻薬カルテルと知り合いになると、そっちの密輸の仕事もホイホイ手伝ってしまう。やがて、自宅には収納しきれないほどの札束があふれ…。

もちろん、CIAもバリーの「内職」は知っているが目をつぶっている。CIAの仕事をしながら副業でも荒稼ぎ。そこだけ見ると、邦題サブタイトルにあるように「アメリカをはめた男」かもしれないが、CIAはそんな甘いものではない。使い勝手がいい間はいい顔をしているが、密輸がバレてバリーが危機に陥ると手のひら返しで「自己責任でしょ」となる。つまり、「アメリカをはめた男」はその瞬間に「アメリカに使い捨てられた男」になってしまうのだ。ここに至って、組織の、あるいは国家というものの非情さが見る者の心になんともいえないやりきれなさを残す。

本作を見終わってまず印象に残るのは、やはりバリー・シールという人物の破天荒さだろう。途方もない金を稼いではいたが、どうも金や権力が目的ではなかったようだ。つまるところは、冒頭の旅客機を急降下させたエピソードと同じく、イタズラ心がどこまでも暴走していっただけ…ということなのだろうが、命を落としかけるようなピンチに何度陥ってもまったく懲りないバリーの得体の知れなさは、映画的にはたしかにおもしろい。そして、トム・クルーズがこの役にものすごくハマっているのではないだろうか。

もう一つはCIAという組織のモンスターぶりだろう。同時期のCIAを題材にした実話もの映画としては『アルゴ』があるが、同じ秘密工作でも、あちらが「良いCIA」なら本作は「悪いCIA」という感じで、改めて国家による謀略って何なんだろうと考えさせられる。国のために必要だということでやっているのだろうが、本当に必要なのか?…という素朴な疑問がわいてくるのだ。アメリカのためという名目ではあるが、実際には組織の論理で世界中に戦争や危機の火種をまき散らしているだけのような…。

北米・中南米あたりの近現代史や政治の予備知識は多少あった方がわかりやすいと思うけど、作中でもけっこう説明してくれるので、難しさはまったくない。エンターテインメントとしてもとてもよく出来ているし、これが「実話」ということでさらに味わい深い映画となっている。演出のテンポ、音楽の使い方などもかなり好きだね~。期待以上の一作となった。

(いろんな飛行機が登場。飛行機好きにもこたえられないのでは?)
Bari

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2017年9月30日 (土)

スクランブル

■映画「スクランブル」 日比谷 TOHOシネマズみゆき座

シンプルな娯楽映画が見たい…という気分で。事前情報はネットで予告編をちらっと見たくらいだったかな。

ストーリーはこんな感じ。
「頭脳派の兄アンドリュー(スコット・イーストウッド)とメカニック担当の弟ギャレット(フレディ・ソープ)は、高級クラシックカーを専門に狙う強盗団。ある日、世界に2台しかない高級車を奪ったことが原因で凶悪なマフィアに目をつけられてしまう。捕らえられた兄弟は、敵対関係にある別のマフィアが所有する希少なフェラーリを1週間以内に盗むよう命じられるが…。」(シネマトゥデイ)

原題は『OVERDRIVE』。ノリは「ワイルド・スピード」シリーズのあの感じで、実際に脚本は『ワイルド・スピードX2』と同じチームが担当している。風光明媚な南フランスを舞台に、美男美女の怪盗たちが、追ってくるマフィアやインターポールを煙に巻きながら、ギミックたっぷりの手法でお宝=世界の名車を盗みまくる! BGMはイマドキ感たっぷりのクラブミュージック(EDM)。映像は名車の滑らかな曲線や光沢をまるで美女の肢体のようにフェティッシュに映し出していく…。

登場人物はほぼ全員が犯罪者。しかし、ダークな雰囲気はまったくなく、コートダジュールの陽射しのように明るい「ワル」という感じである。ルパン三世の主人公たちが全員犯罪者なのに、あまり悪者感がないのと似ているかもしれない。そんな健康的な不良たちが、カッコいい車に乗りまくり、いい女といい感じになり、仲間と一緒に危険な冒険を成功させ、さらに金まで儲けてしまう。ある意味で欧米の「チョイワルに憧れる若者たち」の夢を結晶化したような映画といえそうだ。

全体的にはスピード感もあり、見ている間は退屈しない。辛口に言うならそれだけしかない映画ともいえるが、もともとそういう作品をめざしているのだろうから、これはこれで上出来なのだろう。ご都合主義などは気にする方が野暮ということになる。難しいことは考えずにスカッと楽しんだもの勝ちだろうね。

主演のスコット・イーストウッドは、あのクリント・イーストウッドの息子。顔がなんとなく似ている。主役がすんなりハマっているように感じられるのは、やはり二世俳優ならではのオーラだろうか。

注目はその主人公の恋人役の女優、アナ・デ・アルマス。プロフィールを見るとキューバ出身で1988年生まれの29歳。しかもすでにバツイチだったりするらしいが、かわいらしい童顔で高校生役でもできそうだ。本作では水着で登場するサービスシーンもあり! そんな彼女、話題の『ブレードランナー2049』にもかなり大きな役で出演しているようだ。レプリカント役かな。そっちも非常に楽しみになってくる。ぜひ見に行きたいね。

(「ワイスピ」みたいにシリーズ化していくのだろうか?)
Over2

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