映画・テレビ

2017年7月18日 (火)

カーズ/クロスロード

■映画「カーズ/クロスロード」 渋谷 TOHOシネマズ

ディズニー/ピクサーのアニメーション映画。シリーズものだけど、たぶん1作目をテレビで見たことがあるくらいかな(記憶もあまり…)。予備知識少なめで見た感じ。

ストーリーはこんな感じ。
「目覚ましい活躍を見せてきたスポーツカーのライトニング・マックィーン。しかし、最新型レーサーが次々と台頭してくる中で苦戦を強いられている。いつまでも第一線にいたいという焦りに駆られるマックィーンは、レース中に大事故に遭遇。運にも世間にも見放され、周辺には引退という文字がちらつきはじめるが…。」(シネマトゥデイ )

自動車たちがまるで人間のように暮らす世界を舞台にした物語。その点だけをとれば子供向け作品のようにも思えるが、ディズニー/ピクサーの制作とくれば、絶対に大人でも見ごたえのあるしっかりしたストーリーになっているはず…と思っていたらその通りだったね。

映像ももちろん素晴らしいのだけど、これについてはもうマヒしてきている感じ。最近のCGアニメーションのクオリティーは本当にすごい。実写と見まがうような映像が次々と繰り出される。見ごたえは十分だ。

しかし、本当にうならされるのはやはり脚本と演出の隙のなさだろう。シリーズも3作目。主人公はベテランの域に達し、そろそろ引退がちらつく年代になっている。この設定からしてすでに全然「子供向け」ではない。大人でもむしろ中高年以上がよりぐっとくるような渋い話を真正面からかましてくれる。もちろん、そんな話であっても、若者も子供もばっちり楽しませるぜ!…という自信があるからこそなのである。実際に年齢関係なく満足できるであろうエンターテインメント作品にきっちり仕上げている。さすがとしかいえない。

見終わって感じたのは、この「カーズ」というシリーズ、けっこう「ロッキー」なのではないか…ということだった。まあ、「1」はテレビでざっと見ただけ、「2」は未見の状態なので、あくまでも3作目の本作を見た印象にもとづいての感想なのだけど…。
では、具体的にどのへんが「ロッキー」なのかというと、まずベースとなっているのが「アメリカ流のスポ根」ということだ。強敵を倒すための努力や工夫、モチベーションなどが物語の見どころとなっており、その背後には「師匠から弟子への魂の継承」というテーマが隠されている。もうこの段階でおもしろくないはずがない鉄板の設定である。

シリーズ3作目の本作では、ライバルはハイテクをフル装備した「新世代」となる。実際の能力では主人公はもう完全に追い抜かれているのだが、そんなロートル世代がアナログな特訓によって、「まだ新世代には負けない!」というところを見せようとする…物語はそんな展開で進んでいく。このアナログでハイテクに勝負を挑む…というあたりも娯楽映画の王道。勝てるのか?どうなる?…と展開から目が離せない。

しかし、本作はそれだけでは終わらない。終盤でさらに大きな仕掛けを用意している。「ロッキー」っぽさを感じさせるもう一つのテーマ「魂の継承」が急速に浮かび上がってくる展開だ。こうなると「ロッキー4」あたりと「クリード」を両方いっぺんに見ているようなおもしろさのてんこ盛りとなる。そして、主人公の魂を受け継ぐのが女性だという点は、最近のディズニー映画のトレンドと完全に一致するものといえるだろう。

本作の世界観でもう一つ興味深いのは、背景が「アメリカの田舎」ということでもある。日本人にとってアメリカらしい風景というと、どうしてもニューヨークやLAなど大都会をイメージしてしまいがち。しかし、そういう大都会はどちらかといえば「アメリカっぽくないところ」だともよく指摘される。本作は、景色だけでなく文化的なものも含めて、アメリカの田舎の感覚が非常によく打ち出されているのではないだろうか。プロレス的な草レースのエピソードなどがその真骨頂だろう。そんなところも含め多面的に楽しめる映画でもあると思った。

(見たのは日本語吹き替え版。ヒロイン役の松岡茉優さん、本当に芸達者!)
Cars

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2017年7月13日 (木)

ボンジュール、アン

■映画「ボンジュール、アン」 日比谷 TOHOシネマズ シャンテ

気軽に見られそうな映画ないかな…と探していたらこの作品が目についた。ネットで予告編をさっと見たくらいの予備知識で…。

ストーリーはこんな感じ。
「仕事漬けの映画プロデューサー・マイケル(アレック・ボールドウィン)の妻、アン(ダイアン・レイン)は、ひょんなことから夫の仕事仲間・ジャック(アルノー・ヴィアール)の車に同乗してカンヌからパリに向かうことになる。単なる移動のはずのドライブは、予想に反して、おいしい食事や南フランスの美しい景色を楽しむ充実したひと時となる…。」(シネマトゥデイ)

コッポラ家といえば有名な映画一家。本作の監督エレノア・コッポラは、巨匠フランシス・フォード・コッポラの妻ということになる。1936年生まれだから今年81歳。本作で長編監督デビューしたのが80歳の時だからすごいエネルギーだ。主人公アンの「映画プロデューサーの妻」という設定は多分に自分を投影したものだろうか。

そんな本作は、映像で綴った短編小説、またはエッセイ…といった趣き。カンヌからパリまでのわずか2日間のドライブ旅行を題材に、大人の恋愛未満のちょっとしたトキメキが描かれている。一見「オシャレ映画」というつくりながら、肩の力が抜けているというか、さらっとした粋な味わいに仕上げている。大事件は起こらないけど、旅する二人の微妙な関係から目が離せない。気持ちよく見ることができた。映像もとてもきれいで、観光ロードムービーとしても楽しめたね。

物語はアンの視点で語られていく。舞台はフランス、ドライブの相方はフランス人男性。当然、「アメリカ人の考えるフランス人のイメージ」がこの映画を支えているといっていい。それは何かといえば、ずばり「恋愛体質」であり、「人生を謳歌するスタンス」であり、反面「ちょっといい加減」みたいなところだろう。特に、恋愛については、自分もよく「フランス=恋愛大国」という言い方をするのだが、アメリカ人もほぼそう思っているようだ。そうしたフランス人のイメージが実体化したような存在がジャックということになる。

日本人からすると、アメリカ人もフランス人も「西洋人」と一くくりにしがちだけど、そこにはさまざまな差異があるところがおもしろい。また、フランスという国そのものが持つ歴史や文化の奥行きに対するアメリカ人の憧れみたいなものもあるのかもしれない。アンはジャックを通して「異文化」「異国」に接する旅をしたことになる。彼女は大学生の娘がいるくらいだからおそらく年齢は50代。しかも既婚者。そんな落ち着いた大人の女性の心が動かす仕掛けとしてはよく出来ていると思った。

その一方で、その「アメリカ人の考えるフランス人のイメージ」をフランス人自身はどう思うのだろうか。やはり、ステレオタイプだと感じるのだろうか。あるいは、多少誇張はあるけど大体あんなもんだよと受け止めるのか。これもちょっと興味あるね。

視覚的な部分では、要所々々でアンが撮影する写真を「静止画」としてインサートしていく手法がスマートに決まっていた。決して珍しいテクニックではないけど、使い方がこなれている。また、カメラそのものも小道具としてうまく生かされていた。小品ながら印象的な映画。見終わって疲れないところもいい。

(車の故障で川べりの昼食。アンの機転がなかったらどうするつもりだったのか…)
Bon

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2017年7月 2日 (日)

美女と野獣

■映画「美女と野獣」 渋谷 TOHOシネマズ

大ヒット中のディズニー映画。公開からすでに2カ月以上たっているのに、週末なんかは早々に「残席わずか」になってたり…。見に行った日も平日のわりに、お客さんけっこう入ってたね。

ストーリーはこんな感じ。
「ひとりの美しい王子が、呪いによって醜い野獣の姿に変えられてしまう。魔女が残した一輪のバラの花びらがすべて散る前に、誰かを心から愛し、愛されることができなければ、永遠に人間には戻れない。呪われた城の中で、希望を失いかけていた野獣と城の住人たちの孤独な日々に変化をもたらしたのは、美しい村の娘ベル。聡明で進歩的な考えを持つ彼女は、閉鎖的な村人たちになじめず、傷つくこともあった…。」(公式サイトより)

本作は1991年のディズニー・アニメーション版をもとに実写化したもの。基本的なストーリーや音楽はほぼそのままだ。名作といわれているアニメ版、とりわけアラン・メンケンの素晴らしい音楽を踏襲しているわけだから、よほどのことがないとはずしようがない感じ。実際に見終わっても手堅く仕上がっているなという印象を受けた。

その一方で、新たな何かが付け加えられ、より魅力的に生まれ変わった…とまではいえない気もした。アニメ版の公開からすでに26年。劇場で見た記憶のある世代は、当時10歳だったとしてもすでにアラフォーに近づいている。その意味では、「新作として若い世代に見てもらう」ことが最大の目的だとするならば、これはこれでいいのかもしれない。ただ、アニメ版に新鮮な衝撃を受けた者としては、予想の範囲内だったという意味での食い足りなさはあったかな…。

もちろん細かいところでは現代化の試みもみられる。代表的なのは、アフリカ系のキャラやLGBTのキャラが導入されている点。これについては、近世以前のフランスという舞台設定を考えると、そこまでやる必要あるのかな…という気もした。ただ、代表曲「Beauty and the Beast」自体もコンテンポラリーなR&B音楽の要素をかなり取り入れたナンバーだったりするわけで、音楽がフュージョンしてるんだから配役もフュージョンでごく自然…なのかもね。

もう一点の大きめの違いといえば、ベルの母親がいない理由が明らかになるところだろう。けっこう悲しいエピソードだが、結果的には彼女の長年の疑問を野獣が解消してあげたことになり、ベルと野獣の気持ちが近づく一つのステップとなる。物語の丁寧な運びという意味ではよかったのではないだろうか。

音楽でも新曲が何曲か追加されている。その中で印象に残ったのは野獣のソロナンバー「Evermore」かな。歌い上げるミュージカルらしい曲で聴き応えがあった。

ちなみに、「美女と野獣」はブロードウェイの舞台版も見ている。20年ほど前、ニューヨークに行った時、ちょうどやっていたので当日券で見た。その日のベル役はデビー・ギブソン。80年代にアイドルシンガーだった頃、けっこう好きだったので、実物を見られてうれしかったのを覚えている。…とまあ、けっこう好きな作品なので、必要以上に厳しく見てしまったところもあるかもしれない。全体的にはいいリメイクだと思う。

(実写版の野獣は怖い、醜いというより意外にイケメンだったりして…)
Bab

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2017年6月23日 (金)

吉田類の「今宵、ほろ酔い酒場で」

■映画「吉田類の『今宵、ほろ酔い酒場で』」

BS-TBSの「吉田類の酒場放浪記」、たまに見る。年末年始なんて延々と再放送してるからずーっと見続けたりして…。映画版ができたというので、ふらーっと見てまいりましたよ。

ストーリーはこんな感じ。
「運のない人々が集う居酒屋チャンスに、変装した人気アイドルの山下絵里子(松本妃代)が現れる(『居酒屋チャンス』)。妻子が帰省中の会社員・日暮義男(伊藤淳史)は、一人で飲もうとどつぼ酒場に足を踏み入れる(『どつぼ酒場』)。詐欺の容疑が掛かっている会社社長・森本勝也(吉田類)は、通りすがりの居酒屋に入り…(『ふるさと酒場土佐っ子』)。」(シネマトゥデイ)

お店が舞台のテレビ番組の映画化、しかもオムニバス形式…とくれば、たぶん映画版『深夜食堂』みたいな雰囲気かな…とある程度予想していた。実際、この予想は大体当たっていたと思う。基本は酒場にやってくる人にまつわる人情話の三本立である。

まず最初のエピソードは、仕事にも恋愛にも行き詰っていたアイドルが、見知らぬ居酒屋で元気をもらって帰っていくという話。時間の関係もあってか、本当にそれだけであまり深掘りはない。まあ、冒頭なんで軽いジャブみたいなものだろうか。

二番目のエピソードは、人のいいサラリーマンが不気味な酒場で出会う変わった人々に振り回される話。人情話というより、『世にも不思議な物語』のような「都市伝説ミステリー」をコメディー風味で…みたいなテイストだったかな。

最後のエピソードだけは、やや変則的となる。主人公が一杯の酒を飲み干す間に思い出す「少年時代の故郷の光景」がメインなのだ。酒にまつわる懐かしい記憶。大人がうまそうに飲む酒に興味を持ち、こっそり飲んでみるが、まったくおいしくない…という、多くの人が経験しているであろう体験談などが、美しい自然に囲まれた四国山地の集落を背景に描かれる。ここは一気に物語の広がりが生まれており、まさに映画版ならではの展開といえそうだ。酒場の親父の対応や酒を飲み終えた主人公の選択なども人情話らしくてよい。

もともとフィクションとしての舞台装置がしっかり確立されている『深夜食堂』に対して、「酒場放浪記」はお店探訪のドキュメンタリーであり、そのイメージを壊さないように新たな物語(ストーリー)を一からつくるのはなかなか大変だったのではないだろうか。そう考えると、小品ながらまあまあ無難な仕上がりであり、吉田類ファンなら楽しめるだろう。とりわけ、最後の『ふるさと酒場土佐っ子』のエピソードは、作品の映画としての魅力度を一段アップさせていると思った。

(高知出身の類さんの土佐弁、雰囲気あってよかったね)
Rui

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2017年6月 9日 (金)

メッセージ

■映画「メッセージ」 日本橋 TOHOシネマズ

何か見たいなということで、劇場で何度も予告編を見ていたこの作品を。

ストーリーはこんな感じ。
「巨大な球体型宇宙船が、突如地球に降り立つ。世界中が不安と混乱に包まれる中、言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は宇宙船に乗ってきた者たちの言語を解読するよう軍から依頼される。彼らが使う文字を懸命に読み解いていくと、彼女は時間をさかのぼるような不思議な感覚に陥る。やがて言語をめぐるさまざまな謎が解け、彼らが地球を訪れた思いも寄らない理由と、人類に向けられたメッセージが判明する…。」(シネマトゥデイ)

原題は「ARRIVAL」。そのまま訳せば「到着」である。異星人(?)とのファーストコンタクトものSFであることをダイレクトにイメージさせるタイトルだ。実際に物語はそんなストーリーを追っていく。わざと派手な演出を抑えたかのような画面が適度な緊張感を生んで非常によい。SF好きならかなりわくわくさせられる導入部である。

しかし、これは単なるファーストコンタクトものではなかった。物語が進むうちに、本作はまったく未知の文明と接触することで人類が次の階梯に一歩を踏み出す瞬間を描く、まさにSFでしか成しえない哲学的、文明論的シミュレーションを内包した作品であることに気づかされるのだ。単なる…ではなく、これこそ「真の」ファーストコンタクトものというべきだろう。

従って、よくある「異星人到着もの」のようなドンパチはほとんどない。ドンは一回だけ、パチも一瞬である。SFXもそうお金がかかっているようには見えないが、それはそこが本題ではないからだろう。本題でないといえば、登場する異星人(?)は、まんまタコのような形態で、そいつがなんとスミを吐いて文字を描く設定になっている。いまさらのタコ宇宙人! しかもスミを吐く!…なんて、普通に考えればお笑いでしかない。要は「そんなことはどうだっていい」という宣言なのである。これは別に宇宙人の姿かたちで驚かせる物語ではない。だから、わざと典型的なありがち造形にしてみせたのだ。

では本題はどこなのか。主人公の言語学者たちが「外国語を学ぶと思考方法が変わる」という学説について会話する場面がある。ロジックは言語によって規定されるから、違う言語を学ぶことで見えてくる世界が変わる…ということだ。その上で、接触してきた異星人の言語を分析すると時制がないことがわかる。どうやら彼らにとって、時間は過去から未来への一方向に流れ去るだけのものではなく、物理的な空間のように俯瞰できるものらしい…。そう考えると、件のタコ型エイリアン(ヘプタポット)は、異星人ではなく「異次元人」なのかも? ただし、そこもまたそう重要なポイントではなく、異星人でも異次元人でも未来人でも何でもいいのである。

この本題の部分に主人公が気づいていくプロセスが、実に映画的で巧みな技法によって表現される。あまりにも巧みで見事なので、最後まで誤解したままの人も一定数発生してしまうくらいだ。Yahoo映画のレビューを見ていると、勘違いしたまま感想を書いている人も散見された。しかし、決して難解というわけではないと思う。むしろ、何度も繰り返し見て考える面白さがある作品だと評価してもいいのではないだろうか。

結末にも深いひねりが加えられている。文明の階梯を上がるということは新たな苦しさとセットだということだ。たとえば、現代の人類は科学を手に入れた結果、それまではまったく必要なかった地球環境破壊の心配をしなくてはいけなくなっている。同様に、ヘプタポットがもたらした言語の力で時間のしばりから解放されたとしても、今度は未来が過去のことのようにわかってしまった上で、人はどのように生きていけばいいのか…という苦しみが生じることになる。

本作はそうしたSFならではの哲学的シミュレーションの荒々しさと、映画らしい詩的かつ人間的な結末の美しさをうまく融合させている。SF=ドンパチではないということを改めて理解させてくれる、とても洗練された秀作だと思った。

(音楽、音響効果も素晴らしい。ぜひ劇場でその音場を体験したい作品でもある)
Messe

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2017年5月30日 (火)

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

■映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」 有楽町 ヒューマントラストシネマ

少し前に新聞で紹介されていたのを読んで。いちおう予告編はネットでチェックしてから見に行った。イタリア映画。

ストーリーはこんな感じ。
「テロが頻発するローマ郊外。チンピラのエンツォ(クラウディオ・サンタマリア)は、ひょんなことから人知を超えた力を手に入れる。ある日、エンツォが慕う“オヤジ”が殺害されてしまう。オヤジの娘のアレッシアは、エンツォを日本製アニメ『鋼鉄ジーグ』の主人公・司馬宙だと思い込み、二人の距離は少しずつ近づいていく。そんな中、闇の組織のリーダー・ジンガロ(ルカ・マリネッリ)の脅威が迫る…。」(シネマトゥデイ)

『鋼鉄ジーグ』は1970年代の日本のロボットアニメ。原作は永井豪。…と言われてもほとんど記憶になかった。その後、イタリアでも放送されてかなり人気があっただそうだ。事前に読んだ新聞記事でも、本作を「ロボットアニメなど日本のサブカルチャーから影響を受けた作品」と紹介していた。

ただ、まず断っておきたいのは、本作は『鋼鉄ジーグ』の実写化でもないし、『鋼鉄ジーグ』を知らないと楽しめない(あるいは知っていた方がより楽しめる)ような映画でもないということ。日本のアニメなどに影響を受けているのは確かだろうが、直接作品に取り入れているのではなく、インスパイアされた上で自分ならではの作品世界を作っている…というのが正しいのだろうと思う。
どこの国でもそうだろうが、今や世界中のさまざまなコンテンツがテレビやネットを通じて流れ込み、それが地元の伝統や文化と交配され、各地で独自の新しいカルチャー空間を生み出している。それこそがまさに「現代」であり、この映画は「イタリアの現代」を感じさせてくれる作品の一つなのだろうという気がした。

映画全体の印象は「ノワール」に近いかな。主人公エンツォをはじめ、登場人物はほぼ全員チンピラやヤクザ、あるいはその関係者だ。イタリアというとマフィアというイメージだが、スーツをびしっと着込んだ「ゴッドファーザー」に出てくるようなマフィアではなく、ストリートファッションに身を包んだ、本当にチンピラとかヤクザと表現したくなるような、街の悪党みたいな連中ばかりである。
軸となるストーリーは、麻薬の密輸で行き違いが生じ、それを手伝っていたエンツォたちは、組織から横領の疑いをかけられて追われるようになる…というもの。いってみれば犯罪組織の内部抗争ものだ。そこに超人的な力を得たエンツォがどう行動するか…というテーマが絡んでいく。彼はアメリカンヒーローのようにすぐに正義に目覚めるわけではない。本作はいわば「ヒーロー誕生」の前日譚であり、「エピソード0」といったところである。

結論からいえばヒーローもの的な痛快さというよりも、現代イタリアのインディー映画(だと思う。少なくとも大作映画ではない)が描く世界観のおもしろさで見せられた感じだったかな。全体的にはノワール映画らしい暗さや閉塞感みたいなものを漂わせつつ、細かいところでは妙にユーモラスな表現やリアルな暴力シーン、ややグロいシーンなどもある。心を病んでる娘との奇妙な恋愛感情などもなかなか切ない…。
このへんのノリには、サブカルチャー的というか、世界共通のインディー映画らしいモードとイタリアらしいんだろうなと思えるところが混然となっていて独特の味わいを生み出している。深掘りすると永井豪作品のダークな側面との共通点もあるのかもしれない。

ちょっと気になったのは、主人公が不死身の身体を手に入れたのは、不法投棄されていた放射性物質に触れたからという設定。ちと単純すぎるというか、放射能への誤解を招きかねない表現という気もするのだが…あまり細かいところを突っ込むのも野暮というものだろうか。

(この観覧車のシーンは美しい。見終わった後でじわじわくるような場面が多かったね)
Jeeg

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2017年5月17日 (水)

カフェ・ソサエティ

■映画「カフェ・ソサエティ」 日比谷 みゆき座

劇場で見た予告編はいまいちだったのだが、新聞の映画評がわりと良かったで。

ストーリーはこんな感じ。
「1930年代。ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、刺激にあふれた人生を送りたいと願い、生まれ育ったニューヨークからハリウッドに向かう。映画業界のエージェントとして成功している叔父フィルのもとで働くボビーだったが、やがて叔父の秘書を務める美しいヴォニー(クリステン・スチュワート)のとりこになる。彼女との距離が縮まるにつれ結婚まで考えるようになるボビー。しかし、彼女にはひそかに付き合っている男性がいた…。」(シネマトゥデイ)

脚本・監督はウディ・アレン。80代になった今もバリバリの現役。というわけで作品は多いが、考えてみるとあまりちゃんと見たことがない監督でもあった。テレビ放映されたようなのは別として、劇場できっちり見たことはないかも…。

そんなわけで「ウディ・アレン初心者」の感想としては、非常にありきたりだが、アメリカ文学の短編小説を読んだような気分になる映画…そんな表現がぴったりだと思った。

上映時間は96分。もともとそう長い映画ではない。語りがけっこう多用されていて、ストーリーをどんどん進めていく。普通なら「語りの多用」「説明ゼリフ」などは素人くさい作劇法の代表という感じで、その段階で「うーん」と感じてしまうところだろう。しかし、本作ではそう思わせないところが、やはり百戦錬磨の監督の手腕なんだろうね。全編に流れる軽快なジャズ音楽とともに必要なエピソードをサクサクと積み上げていく。ギャングが人を殺す場面でさえ、郵便配達が郵便受けに封筒を投げ込むような感覚でテンポよく描かれる。その結果として生まれているのが、「アメリカ文学の短編小説」のようなすっきりとして乾いた感じ、それでいてとても小粋な印象なのだろう。

物語はハリウッドを舞台とする前半とニューヨークでの後半に大きく分かれる。ハリウッドでは奇妙な三角関係を伴った恋愛が描かれる。ナイーブな主人公ボビーの目線から見ていると、なかなか切ない展開となる。彼は心に痛手を負って故郷ニューヨークに戻る。ナイトクラブの仕事に就いたボビーはいっぱしの男に成長する。結婚もして子供も生まれた。自信に満ちた人生だ。そんな時、ハリウッド時代の恋人と再会する。ボビーはまだ彼女のことが忘れられないでいる自分に気づく…。

サクサクとしたタッチで進んできた物語が急に「人生のホロ苦さ」を感じさせるものになる。演出のテンポも音楽の使い方もそれまでと何も変えてないのに。この映画で描かれている事件は、多少状況設定を変えれば、おそらく誰の身の上にも起こりうることだろう。物語の結末に大きな展開はなく、ただじわりと広がる余韻だけを残して映画は終わる。これこそ大河小説ではない、都会的な短編小説の味わいであろう。比較的短い上映時間もそんな題材にぴったり。「小品ならではの良さ」が出た作品だと思った。

ストーリー以外の部分も魅力的だったね。出演者はみんなはまり役。主人公の恋人役と結婚相手役、二人の女優さんもそれぞれにチャーミングでよかった。また、1930年代のファッションや音楽、風景や街並みの描写も素晴らしかった。やはり、映画はこういう「今ではもう見ることのできない時代」を見せてくれるエンターテインメントでもある。このへんの時代が好きな人なら文句なしに楽しめるだろう。

一方、映画本編とは関係ない話ではあるのだが、日本版の予告編はいろんな意味でこの映画の良さを伝えきれてなかった気がした。おそらく予告編だけだったらこの作品を見ることはなかっただろうし、見始めてからも「なんか予告編でやってた話と違うな…」という感覚があったりして、予習に役立つどころか逆にノイズ化していたような気も…。

(夜明けのセントラルパークでワインを…というお洒落なシーン!)
Cafe

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2017年4月16日 (日)

グレートウォール

■映画「グレートウォール」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ

予告編の段階でけっこうブッ飛んでたのと新聞の映画評が良かったので。見たのは公開翌日。土曜の朝からお客さん多かったね。

ストーリーはこんな感じ。
「世界を旅する傭兵、ウィリアム(マット・デイモン)らは、シルクロードの中国国境付近で謎の獣に襲われる。生き残ったウィリアムとトバール(ペドロ・パスカル)は、精強な禁軍が守る万里の長城にたどり着く。軍師のワン(アンディ・ラウ)によって処刑を免れたウィリアムたちは、自分たちを襲った獣が饕餮(とうてつ)という怪物であり、万里の長城はその大群を都に入れないための防壁だと知る。やがてすさまじい地響きと共に無数の獣たちが迫ってきた…。」(シネマトゥデイ)

「万里の長城」といえば、歴史的には北方からの遊牧民族の侵入に備えて築かれたものだが、本作では長城にまつわる伝説の一つ、「異形のモンスターを防ぐためのものだった」説を100%採用。歴史スペクタクルかつアドベンチャーファンタジーともいえる異色作だが、それをアメリカ・中国の合作で徹底したエンターテインメント作品に仕上げている。こういう映画は四の五の言わずに楽しむしかない。実際にスピード感のある展開で最初から最後まで一気に見せられた!

やはり見どころは長城を守る守備隊とモンスター・饕餮の大群の戦いだろう。とりわけ、捕らえられた主人公たちには「何かが襲ってくる」ということしかわからない状況の中で、戦闘の準備が着々と進められるあたりの緊張感がなんともいえない。そして、実際に戦いが始まってようやく姿を見せた敵の数のすごさ。まさに雲霞の如き大群だ。それに対して守備隊もこれぞ中国という感じの人海戦術で応戦する。当然CGなのだろうが、ごまかさずに正攻法で撮っているところにまず感心する。

ロープを使って宙を飛びながら攻撃する女性兵士の部隊は『進撃の巨人』オマージュだろうか? 霧の中から大口を開けたモンスターが飛びかかってくるあたりは『ジョーズ』(サメもの)映画の雰囲気も。主人公のウィリアムが弓の名手という設定はやはり『ウィリアム・テル』なんだろうね。終盤、地下水路での攻防戦は『エイリアン2』だな~と思ったり。他にも映画好きの人にはたまらない遊びがいっぱい散りばめられていそうだ。

物語は主人公たちが長城に入ってからほんの数日の出来事がすべて。サブストーリーは、当時の最先端兵器である「黒色火薬」の秘密を盗み出す話くらい。ついつい入れたくなる主人公と女隊長との恋愛感情みたいなのもごくごく淡いタッチに抑えている。シンプルでわかりやすいストーリーに絞り込んでるところがいいね。
欲をいえば、饕餮のクリーチャー造形があまり中国っぽくないので、もうちょっと何とかしてほしかった気はしたかな…。特に大ボス(女王)とかね。まあ、全体的には歴史考証なども含め細かいことを言う映画ではないので、突っ込みどころもおもしろがるくらいでちょうどいいのかも。スカッとできる痛快作だ!

(話自体はB級っぽいけど主役をはじめスター俳優を使ってるから絵柄が豪華!)
Gw

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2017年4月11日 (火)

パッセンジャー

■映画「パッセンジャー」 渋谷 TOHOシネマズ

けっこう前から劇場で予告編を何度も見ていた作品。ドンパチ系じゃないSF映画もいいな…ということで。

ストーリーはこんな感じ。
「20XX年、新たなる居住惑星をめざし、5000人を乗せた豪華な宇宙移民船アヴァロン号は地球を後にした。到着までは120年。しかし、冬眠装置で眠る乗客のうちエンジニアのジム(クリス・プラット)と作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)だけが目覚めてしまう。予定より90年も早く…。絶望的な状況を打破しようとする二人だったが…。」(公式サイトより)

巨大な宇宙移民船。SFにはよく登場するアイテムだが、その内部をつぶさに描いた作品は初めて見たかもしれない。なぜなら恒星間飛行には非常に長い年月が必要であり、その間は乗務員も乗客も人工冬眠している…という設定が一般的だからだ。みんな眠っている状況では物語にならない。しかし、一人だけ予定外に目覚めてしまったら…。これもまた宇宙を舞台にした「ロビンソン・クルーソー物語」といえるだろう。

宇宙でのロビンソン・クルーソー生活といえば、約1年前に見た『オデッセイ』もそうだった。しかし、同作が「DIYしながら救出を待つ」物語だったのに対して、本作は「高級ホテル並みの環境はあるものの救出は最初から望めない」という大きな違いがある。外部から隔絶され、たった一人だけの世界で、人は何を支えに生きていけばいいのか…? ここで生じる主人公の葛藤こそまさに「究極のロビンソン・クルーソー」のテーマかもしれない。SF好きとしてはかなりわくわくできるストーリーになっている。

そして後半、もう一人の乗客、オーロラが覚醒して以降の物語は、いわば「セカイ系」といっていいのではないだろうか。ジムとオーロラ、目覚めている人間がたった二人しかいない巨大宇宙船はそこだけで完結した「世界そのもの」。しかし、その「世界」は破滅の危機に瀕していることがわかる。「きみとぼく」の関係性がダイレクトに世界の命運を握る。前半はSF的な思索が中心であり、後半は一気にエンターテインメントとなる。バランスのいい作品でおもしろく見ることができた。

ただ、せっかくSF的設定が魅力の作品なのに、ちょいちょいご都合主義的なところがあるのは若干気になったかな。たとえば、小惑星のようなものに衝突して最初の事故が起こるのだが、重要なシステムには何重ものバックアップが用意されるのが当たり前ではないのか。設計が杜撰すぎる。また、バーテンダーやウェイターのロボットがいるのに、なぜ故障修理ロボットがいないのかも理解できない。万一システムが破損しても修理するロボットがいれば問題はなかったのである。

さらにいえば、目的地までの120年間起動する必要のない客室の全システムが、たった一人アクシデントで覚醒しただけですべて対応する…というのもありえないのではないだろうか。こういう現代人が考えても「ちょっとどうなの?」と思うような穴があると、SFとしての詰めの甘さを感じてしまうことになる。このへんはもっとしっかり練り込んでほしかったね。

逆に、登場人物が極端に少ないのに飽きさせない物語展開はなかなか良かった。主人公にうしろめたいところがあってハラハラさせられるところとかね。オーロラ役のジェニファー・ローレンスはとても魅力的で、「こういう女性と二人きりで暮らせたら…」という妄想刺激ドラマとしてもおもしろい。「ロビンソン・クルーソー」にも憧れるが、どっちが楽しいかといえば「青い珊瑚礁」に決まっているのだ。その意味では結末はファンタジーでもある。そんな気がした。

(この宇宙服の耐熱性がすごい。思わず「まじか!そうきたか!」と言いたくなった)
Pass_2

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2017年4月 6日 (木)

はらはらなのか。

■映画「はらはらなのか。」 新宿 武蔵野館

相当前からツイッターのTLでよく目にしていた作品。ネットで予告編も見ていたし、劇場でやってる間に一回は行っておきたいな…ということで。

ストーリーはこんな感じ。
「冴えない子役女優・原ナノカ(原菜乃華)。自分が生まれると同時に亡くなった母・マリカ(松本まりか)に憧れて始めた道だが、オーディションは不合格続きで鬱屈とした日々を送っている。父・直人(川瀬陽太)の都合で田舎町に引っ越してきたナノカは、マリカが出演した舞台の再演とキャスト募集のチラシを見つけ、絶対に主役をやりたい!と事務所にも直人にも内緒でオーディションに挑むが…。」(公式サイトより)

完全にミュージカルということでもないんだけど、歌や踊りで表現される場面がけっこうある。音楽を担当しているチャラン・ポ・ランタン以外にも、吉田凜音さんらが出演していて、その歌がとても大事なシーンになっていたりもする。「映画と音楽のコラボ」をテーマとする「MOOSIC LAB」のコンセプトにも通じる作品だな~という印象。それもそのはず、「MOOSIC LAB 2015」でグランプリを獲得した酒井麻衣監督の最新作なのだ。そのへんの雰囲気が好きな人ならとてもおもしろく見ることができる映画だと思った。

物語は、中学生になったばかりの主人公が悪戦苦闘しながら、自分の進むべき道を見出していく…というもの。そこに家族(親子)というもう一つのテーマが加わっている。主人公のナノカは、親子を題材にした舞台を経験することで、「母がいない」という自らの欠落感を埋めていく。フィクションには現実を変える力がある。そのことを確信できた時、一人の女優が誕生する…。
同時に、本作はナノカを演じた原菜乃華さん自身が、女優になる覚悟を決めたという作品でもある。物語の中でも一人の女の子が女優への一歩を踏み出し、現実でも女優・原菜乃華誕生のドキュメンタリーになっている。虚と実が入れ子になって交錯する不思議な奥行きを生んでいる。

後で監督のインタビューを読んだら、本作に登場する劇中劇は実際に原菜乃華さん主演で公演された舞台であり、それにインスパイアーされて映画の脚本が生まれたのだそうだ。作品の成り立ちとしては、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』に近いともいえる。どちらも“女優誕生”を扱っているところが興味深い。そして、自分はこういう物語が好きなんだな~とも改めて感じた。

主演の原菜乃華さんはまだリアル中学生。当然だけどものすごくフレッシュ! 映画の序盤から後半にかけてどんどん成長していく表現が素晴らしい。ただ、この世代を見る目はどうしてもお父さん目線になってしまうね。作中のお父さん、本当に愛情を注いでいて、ナノカちゃんが嫁に行く時には絶対号泣だろうなあ…と思わずにはいられない。

重要な役である喫茶店店主を演じる松井玲奈さん、先輩役の吉田凜音さんもいい配役だった。そして、チャラン・ポ・ランタンの主題歌がどんぴしゃにハマってたね。欲をいえば、エンドロールのところでもう一発ミュージカルシーン(カーテンコール的な)があれば最高だったんじゃないだろうか。

(3年後くらいにはJK恋愛もの映画にひっぱりだこかな…)
Hara

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