書籍・雑誌

2016年2月11日 (木)

アイドルだって人間だもん!

■「アイドルだって人間だもん!」 山口めろん(創芸社)

サブタイトルは「元アイドル・めろんちゃんの告白」。最初に知ったのはツイッターか何かだったかな。紹介されてたエピソードがおもしろく記憶に残ってました。ある日、書店をふらついてたら現物があったので思わず手に取って…。

内容はこんな感じ。
「アイドルユニットのメンバーとして、2015年1月まで活躍していた山口めろんが、アイドル時代の自分の失敗談や感動した出来事、オタクに関するさまざまな体験…などを独自の視点から語ります。そして、アイドルを卒業した今、直面している社会の壁や将来の夢についても赤裸々に告白します!」(「BOOK」データベースより)

著者の山口めろんさんは、「怪傑!トロピカル丸」(のちに「青春!トロピカル丸」)の初期メンバーとして活動していた山口水季(やまぐち・みずき)さん。グループ在籍時のイメージカラーなどから「めろんちゃん」というニックネームだったものを、アイドル卒業後に芸名にしたらしい。

…という知識は、本書を読んだ後にネットで調べた。もともと「怪傑!トロピカル丸」というグループの存在だけは知ってたけど、音楽的には好みの範囲からかなりはずれていたこともあり、そのステージは対バンライブなども含めて一度も見たことがない。当然ながら個々のメンバーにまで関心を持つということもなかった。でも、この本を読み終わった後、いきなり「めろんちゃん」のファンになっている自分がいた!

タイトルが「アイドルだって人間だもん!」で、帯には「夢が壊れても知りません…」ともある。これは相当ぶっちゃけているのでは…と期待する向きもあるかもしれないけど、いわゆる暴露ものや告発ものといった種類の本ではないので、ゲスな話やエグイ話は出てこない。「そんなに売れてないアイドルの実態」を紹介する内幕ものの体裁をとりつつ、最終的には「めろんちゃん」がふとしたはずみで飛び込んだアイドルの世界で過ごした3年と少しの期間を振り返った「青春記」ともいえる一冊になっている。とても爽やかで楽しく一気に読める。

「アイドルとオタク」「アイドルと恋愛」「アイドルの金銭事情」…など誰でも興味を持つようなテーマにも踏み込んでるけど、そこそこ長くアイドルファンをやってる人であれば、さほどびっくりするような話は出てこない。でも、やっぱり本人の実体験にもとづいて書かれてるからとってもリアル。アイドルとしての収入は「ほぼゼロ」で、生活費は基本アルバイトの給料でまかなっていた…という話などは世間でいわれてる以上に過酷。それなのに夢があったから充実していた…という「めろんちゃん」。完全に「やりがい搾取」状態だよ…と言いたくなるのだけど、そういう正直辛かったんじゃないかと思えるようなエピソードも、からっと明るく(時には自虐ネタに転換して)語ってしまえるところに彼女の大らかな人間性が出ている。最後まで読んだら絶対好きになってしまうよね~。

文章も読みやすい。すらすらっと1時間程度で読み切ってしまえる。この本はおそらく彼女が自分自身で書いているような気がする。プロのライターならこうは書かないだろう…というところがちょいちょいあるからだ。でも、それもいい味になっている。ところどころに入ってる4コマまんがも楽しい。プロフィールを見ると趣味に「漫画を描くこと」とあるので、「めっちゃうまいな~!」と感心してたんだけど、さすがに作画はプロが手伝ったみたいで(サード大沼さん)。

表紙の写真もかわいくとれてます。

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2015年5月13日 (水)

戦士の休息

■「戦士の休息」 落合博満(岩波書店)

初版は2013年8月。買ったのは半年後くらいで、すぐに一気読み。今回改めて再読したのを機会に感想を書いてみました。

内容はこんな感じ。
「三船敏郎からジブリ作品、『チキ・チキ・バン・バン』から『アベンジャーズ』まで。超一流の野球人が古今東西の映画を語り尽くした痛快エッセイ。山田洋次監督との特別対談を収録。」(「BOOK」データベースより)

落合氏といえば、本業である野球以外でも熱烈な「ガンダムファン」としてよく知られている。しかし、ガンダムよりももっと長いつきあいがあり、「自分の人生の恩人」とまで言い切っている趣味が「映画」なのである。本書は落合氏が半世紀以上にわたって見続けてきた映画について、おそらく初めて真正面から語った一冊ではないだろうか。

内容はスタジオジブリが発行している月刊誌「熱風」に1年間連載した文章にさらに加筆したもの。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが直々に依頼したそうだ。鈴木氏といえば中日ファンとしても有名。ドキュメンタリー映像などで鈴木氏の部屋が映ると、たいていドラゴンズのユニフォームやドアラなどが置いてある。
ではなぜ鈴木氏は落合氏に映画についての文章を依頼する気になったのか。それはこんなエピソードを聞いたからだそうだ。落合氏は映画を見ていて寝てしまうことはまずないのだという。ところが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見ている最中になぜか居眠りをしてしまった。普通の人ならそれだけのことだろう。しかし落合氏は、「なぜあの映画のあの場面で眠ってしまったのか」、それを確かめるためにもう一度同じ映画を見に行った…というのである!

たしかにこれだけ聞いても、落合氏が並の映画ファンではないことがわかるだろう。落合氏は選手時代・監督時代を通じて、常に球界の常識を打ち破ってきた人物だが、その行動の基本は、今まで「あたりまえ」とされてきたことでも、納得できる理由があるかどうかまず自分で考えてみる…という姿勢なのだ。
だから、本当に細かいところまでよく見ている。「映画は見終わった時に“おもしろかなったな”と思えればそれでいい」と、わりとハードルの低いことを言いながらも、どの映画のどこがどう良かったのかをきっちり分析して語ってみせる。まさに「自分なりの映画観」がはっきりしているからこそできることだろう。

また、見ている映画の量・幅ともにすごい。本書を読んだ印象ではミニシアター系の作品まで全部押さえるところまではいってない感じだけど、おそらくメジャー作品は洋邦問わずほとんど網羅しているのではないだろうか。実写からアニメ、SFアクションから人情もの、チャップリンなどの古典から最新の韓国ドラマ…。よく「何でも見ます」という人がいるけど、それにしたって好みはけっこう偏ってくるものだ。落合氏は本当に「映画という娯楽」自体が好きなんだなあと思わされる。
しかも、ジョン・ウェイン、オードリー・ヘップバーン、三船敏郎…など往年のスターの代表作についてはほぼ公開時に劇場で見ている。これも映画を語る上での強みだろう。新参の映画ファンには真似したくても出来ないことである。しかも、先述の『パイレーツ・オブ・カリビアン』に限らず、気に入った映画についても何度も繰り返して見るというのだから念が入っている。

巻末には山田洋次監督との対談が収録されている。最初は映画ファン・落合として話をしてるんだけど、そのうち山田監督と落合監督による「監督対談」になっていくところもおもしろい。現在はドラゴンズのGM(ゼネラル・マネージャー)という職にあるので難しいかもしれないけど、いつか宇多丸氏のタマフルにゲストで呼んでほしいものだ。どんな話が飛び出してくるか、非常に興味は尽きない。
評論家とはまた違う「年季の入った映画ファン」ならではの語り口で、映画を見る楽しさを改めて感じさせてくれる本である。

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2015年4月29日 (水)

音楽に恋をして♪ 評伝・湯川れい子

■「音楽に恋をして♪ 評伝・湯川れい子」 和田靜香(朝日新聞出版)

2012年12月に刊行されてすぐ買った一冊。読みやすいのですらすらっと一気に読んでそのままになってたのだけど、この度じっくり再読しての感想を。

内容はこんな感じ。
「天から降りるくす玉のひもを、何本引いても当たりが出ない。私は何になりたいの? 私は何になれるのかしら? 戦後日本の最先端を駆け抜けた女性の華麗でドラマチックな物語。」(「BOOK」データベースより)

この紹介文は本書の帯に書かれているコピーそのまんまなので、これだけ読んでも何のことやら…という感じかもしれない。内容を一言でいえば、湯川れい子さんの誕生から現在(2012年)までをまとめた自伝的な一冊ということになる。サブタイトルには「評伝」とあるけど、著者の和田さんは長く湯川さんのアシスタントを務めた、いわばお弟子さんなので批評的に書いているというよりは、その時々の湯川さんの心情をそのまま語ったような一冊になっているといえるだろう。

ところで「湯川れい子」という名前をきいた時、どんなイメージを抱くだろうか。音楽評論家、音楽ジャーナリスト、DJ(ディスクジョッキー)、作詞家…。近年では脱原発や平和などについて積極的に発言している活動家のイメージもあるかもしれない。非常にたくさんの顔を持ち、それぞれの分野で一流の仕事を長く続けてきている人だけど、本書を読むとそれさえも彼女の一部でしかないことがわかってくる。

個人的には、湯川さんといえば「全米トップ40」である。この番組を聴いて毎週移り変わっていくポピュラー音楽のダイナミックな世界に惹きつけられたのが、私が「音楽オタク」の道にハマっていくきっかけだった。ところが、この歴史的番組のエピソードが出てくるのは、本書が後半に差しかかってからである。これだけでも、60年代から70年代にかけて、いかに彼女が幅広く活躍していたかがよくわかるのではないだろうか。

彼女が音楽評論家としてデビューしたのは1960年。実はそれ以前は、映画や舞台に出演する「女優」だった。これは本書を読んで初めて知った。章の口絵には当時の写真が使われていて、それを見ると若い頃の湯川さんはすごい美人だったことがわかる。今でいえば瀬戸朝香と武井咲を足して二で割った感じだろうか。まだ戦後で高度成長も始まってない50年代である。ものすごくあか抜けていたはずだ。しかし、女優としてはほとんど売れなかったのだという。

音楽評論を書くようになったきっかけは、当時のボーイフレンドに感化されて聴いていたジャズだった。湯川さんの投稿を読んで連絡をくれたのが、当時「スイングジャーナル」編集部にいた岩浪洋三氏。そう、湯川さんは最初「ジャズ評論家」としてデビューしたのである。これも今となっては知らない人が多いかもしれない。

ちなみに岩浪氏は、私が学生時代ジャズにハマった時にいちばんよく参考にした評論家だった。自分を音楽の世界に引き込んだ湯川さんとジャズの世界を教えてくれた岩浪氏にこんな接点があったとは! お二人ともその文章やおしゃべりなどは何十年も前から知っていたのに…。世の中、本当に意外なつながりがあるものである

この他にも1966年ビートルズ来日時にインタビューをとった武勇伝とか、エルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソンらスーパースターとの交流、「六本木心中」「センチメンタル・ジャーニー」「ランナウェイ」「恋におちて」…など数々のヒット曲を生んだ作詞活動…といった仕事面でのエピソードに加えて、十代の頃からの恋愛遍歴や結婚、出産、離婚…などプライベートでの喜びや悩みなどについても多く語られている。このへんは同じ女性のお弟子さんの取材に対してざっくばらんに答えている感じで、素直な心情なんだろうなと思えるものである。

湯川さんは基本的にメディア側(裏方)の人だから、アーチストのようにその実像に関心が集まるということはないのが普通だろう。しかし、彼女から何らかの影響を受けたという人は、自分も含めて非常に多く、そのパワーは決してアーチストと比べても引けを取らないのではないだろうか。音楽を愛し、また平和を強く願う彼女の原点を知ることができる貴重な読み物である。

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2013年4月 8日 (月)

きみのためのバラ

■「きみのためのバラ」 池澤夏樹 (新潮社)

初版は2007年4月。主に2000年代前半にいくつかの雑誌に発表された短編をまとめた作品集となっている。

内容はこんな感じ。
「予約ミスで足止めされた空港の空白時間、唱えると人間の攻撃欲がたちまち萎える不思議なことば、中米をさすらう若者をとらえた少女のまなざしの温もり。微かな不安と苛立ちがとめどなく広がるこの世界で、未知への憧れと確かな絆を信じる人々だけに、奇跡の瞬間はひっそり訪れる。沖縄、バリ、ヘルシンキ、そして…。深々とした読後の余韻に心を解き放ちたくなる8つの場所の物語。」(「BOOK」データベースより)

「移動する作家」といわれる池澤夏樹の作品らしい、世界中のさまざまな土地を舞台にした8つの物語。冒頭の「都市生活」の東京(とおぼしき街)、そして三話目の「連夜」の沖縄以外は、すべて海外で展開されるストーリーとなっている。さらにいうならその「連夜」も、現在の沖縄と古い琉球王国時代の記憶をつなぐ話なので、これも広い意味での「外国」「異郷」の話といえるかもしれない。

いずれの作品も何か大きな事件が起きるといった話ではない。登場人物がちょっとした出来事に遭遇する、あるいは誰かと出会って自分の身の上や思いについての会話を交わす…といった構成が多い。客観的に見ればけっこうショッキングな出来事が起きているような話も、まるで遠い過去に起こったことを回想しているかのような静かな語り口で語れられる。「レギャンの花嫁」や「レシタションのはじまり」などが典型的といえるだろう。結婚式を間近に控えた親友の身に大変なことが起きる、あるいは人類の文明のあり方が変わってしまう…といった、書きようによってはいくらでもドラマチックにできる話なのだが、ここではいずれもさらっと静かに語ってしまっている。もちろん短編だからもともと大風呂敷は広げられないのだが、結果的には実に池澤作品ならではの読後感につながっている。

「レシタションのはじまり」以外はいずれも日本人が語り手となっている。日本人が海外に身を置くと必ず異文化と触れ合うことになる。いちばん最初の異文化はやはり言語だろう。そこで、この短編集でも何らかの形で「言葉」を題材にしている作品が半分以上を占めている。さらに、異文化というものは、必然的に現代日本的な価値観を相対化する働きを果たす。すらすらっと読める物語ばかりだけど、さてその意味しているものは何だろうか…と自然に考えてしまうような小説といえる。よくできた外国映画(ハリウッドものとかではなく)を見た後のような気分になるといえばいいのかな。実際、映像が浮かんでくるような情景描写も多いしね。

発表された雑誌・年代・題材…一つひとつを見ると全然違う作品ではあるが、それでも作者が一貫して意識しているテーマを感じることができる短編集ではないだろうか。

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2012年10月 5日 (金)

AKB48白熱論争

■「AKB48白熱論争」 小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史 (幻冬舎新書)

発売日(8/26)前後にかなり話題になってたので、近所の書店に行ってみたら、なんともう残り一冊だけ。というわけで即決購入。一回ざっと読んだ後、こりゃ内容が濃いからもう一回読み直して…と思ってたらけっこう時間がたってしまいました。

内容はこんな感じ。
「人が人を『推す』とはどういうことか? なぜ今それをせずにはいられないのか? 日本のエンタテインメント史上、特異な『総選挙』という娯楽・消費行動を通じて、すべてのメディアを席巻する存在となったAKB48。まさに大衆の願望がAKB48を生み出したと言えるのだ。あえてではなくマジでハマった4人の男性論客が、AKB48そのものの魅力を語り合い、現象を分析することで、日本人の巨大な無意識を読み解き、日本の公共性と未来を浮き彫りにした稀有な現代文明論。」(「BOOK」データベースより)

最後のあとがきで中森明夫氏が、「アイドルを愛するということは、アイドルについて語ることなのだ!!」と書いてるけど、まさにそれを地で行く本。4人それぞれに異なるバックグラウンドがあるので、基本はヲタ話なんだけど、一般人が居酒屋で語ってるのなんかに比べると含蓄があるというか、一風変わったヲタ話になっていて興味は尽きない。
ただ、音楽やアイドルの専門家ばかりじゃないから、若干はずしてる話もあったりもする。たとえば、ステージ上のAKBのメンバーが言葉に詰まると、「頑張って~!」という声援が飛ぶんですよ…というくだり。これ、別にAKBに特有のものじゃなく、アイドル、さらにはJ-POP全般の現場で昔から見られる現象で、一部ではウザがられてたりするものだよね。あと、指原が全身にモーニング娘。の写真を貼りつけてコンサートに行ったというエピソードに関していうと、この文化(?)は間違いなく80年代からあった。…などと細かい突っ込みをしてみたのは、これぐらいしか突っ込むところがないということでもある。特に、中森明夫氏のスルドイ洞察力と見識の広さにはうならされる。

個人的には、AKB現象の最前線から現在はかなり引いたところにいる。2005年から3年間ぐらいの初期のAKBについていえば、確かに相当熱くなっていたのは事実だけど、AKBがグラビアアイドル化していくのと並行して、音楽的な面での興味はどんどん薄れていってしまった。だから、本書については、けっこう野次馬的な立ち位置から楽しんだ感じだろうか。
提示されているさまざまな論点の中で、いちばんおもしろかった…というか膝を打つような思いがしたのは、「推す」ということの価値を再発見する指摘だろう。人間、誰しもがクリエイターやパイオニア、もっというなら勝者になれるわけではない。だからこそ、そういったものをめざしている人を「推す」ことで自分も救われる道があってもいい…といった話で、1980年代からいろんなアイドルやアーチストを推してきた私自身にとっても、非常に納得させられるものがあった。江戸時代やそれ以前から「贔屓(ひいき)」という文化はあったわけだし、自ら発信者にはなれない多くの人々が、自分自身の夢や理想を誰かに託して推す…というのは、たしかにエンターテインメントの原型の一つなんだろうなという気がする。

ちなみに、本書中で中森明夫氏が紹介している、「山口百恵は菩薩である」も「私プロレスの味方です」も「よい子の歌謡曲」も中森氏はじめとする新人類3人共著による「卒業」も、ほぼリアルタイムで読んでいる。この世代は理屈好きなんですよ。だからアーチストやアイドル本人へのインタビュー記事なんかにはあまり興味はわかないけど、いわゆる分析本・評論本みたいなものにはやたら食いつきたくなる。サブカルを大まじめに、しかもヲタっぽい熱さを込めて語るってのが好きなんだろうな。そういう意味では、今好きなものについて「熱く語っているか?」…と、ちょっと自らに問いかけたくなる一冊でもあった。

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2012年4月20日 (金)

小説 上杉鷹山

■「小説 上杉鷹山」 童門冬二(集英社文庫)

少し前にテレビで「上杉鷹山」をとりあげた番組を見て、「そういえば本持ってたな…」と思って再読してみました。前回一度読んだだけだったし、テレビで改めて全体像をおさらいしていたので、より興味深く読めましたね。

内容はこんな感じ。
「九州の小藩からわずか十七歳で名門・上杉家の養子に入り、出羽・米沢の藩主となった治憲(後の鷹山)は、破滅の危機にあった藩政を建て直すべく、直ちに改革に乗り出す。―高邁な理想に燃え、すぐれた実践能力と人を思いやる心で、家臣や領民の信頼を集めていった経世家・上杉鷹山の感動の生涯を描いた長篇。」(「BOOK」データベースより)

タイトルに「小説」とついているように、上杉鷹山を題材としつつも、完全な伝記ではなく、フィクションの要素も盛り込んだ作品。脇役たちのサイドストーリー部分がそうだし、上杉鷹山自身に関するエピソードでも、話がスムーズに流れるように、多少前後関係を変えてあったりもするようだ。
巻末に実在の上杉鷹山の年譜が載ってるので、比較するとそれがどこなのかわかる。たとえば、藩の人材育成のために設立した学校「興譲館」の指導者として学者・細井平洲を招き、彼をを国境まで出迎えたのは鷹山46歳の時のものだ。しかし、本作では20代前半の時のエピソードとしている。他にも、同様の「改変」は何点かであるようだ。だから、あまり「歴史の本」としては読まない方がいいのかもしれない。ただ、上杉鷹山の事績を知るための「とっかかり」と考えれば、とても読みやすいし、本質はきっちり押さえた本なので十分おすすめできると思う。

さて、上杉鷹山といえば、破綻寸前の米沢藩(上杉家)の財政を立て直し、殖産興業を成し遂げたことで知られる。江戸時代の人でありながら、近代的な思考や柔軟な改革精神を持ちあわせた人物であり、その舞台を今日の企業や自治体に置き換えても、リーダーシップの見本として大変参考になるものといえる。
いってみれば日産に乗り込んだカルロス・ゴーン氏が見事にその経営を立て直したようなものだが、ゴーン氏が社長就任時に実績十分の経営者であったのに対して、上杉鷹山(当時は治憲)が他家から養子に入って家督を継いだのは弱冠17歳の時である。彼は当主となってすぐに改革に着手する。しかし、上杉家といえば上杉謙信を祖先に持つ名門の武家である。そこに他家から来た若者がいきなり「改革」を行うと宣言したのだから、これはもう「抵抗勢力」が黙ってはいない。そこから先は小説を読んでもらうのがいちばんだけど、硬軟の顔を使い分ける鷹山は若年ながら、まったくおそるべき政治家である。このあたりは実に痛快に読める。

本作は、鷹山が抵抗勢力を切り崩し、その徳と愛による政治を米沢に根づかせていくところに重点が置かれているのだが、先日見たテレビ番組では、隠居した後もいっそう改革に力を入れた(というか、むしろ継続的な改革に取り組むため、参勤交代のある当主の座を次世代に譲り、自分は米沢に常駐したというのが本当らしい)ことも強調されていた。小説では、そのあたりの話はエピローグ的な扱いであまり詳しくは書かれていないけど、さらにじっくり調べてもおもしろそうだ。機会があれば、今度は史実ベースの鷹山の評伝や改革の全体像をとらえた本を読んでみたい気がした。

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2012年4月 5日 (木)

西域伝

■「西域伝 大唐三蔵物語」(上・下) 伴野朗 (集英社文庫)

単行本での刊行は1987年。今回読んだのは1990年の文庫版。現在では絶版みたいで、アマゾンで見ると中古本が「1円」(+送料)みたいな感じですね。

物語はこんな感じ。
「唐の国禁を犯し憧れの西城へ。13歳で出家し、真の仏法を求める三蔵法師・玄奘。限りない憧憬の地・天竺をめざし、妖術士たちが暗躍する大地を進む。壮大な歴史ロマン。」(Amazon紹介文より)

三蔵法師の天竺への旅…というと「西遊記」がすぐ思い出されるわけだけど、これはその三蔵法師・玄奘の生涯を、史実をベースに小説化した「玄奘伝」である。当然のことながら孫悟空も猪八戒も出てこない。
本書の特色は、まず歴史の教科書みたいな記述が非常に多いことだろう。玄奘が誕生したのは唐の前の隋の時代。そこで隋が成立し、やがて唐にとってかわられるまでの歴史が、玄奘の幼年時代と並行して詳しく描かれている。でも、文体などは小説的なものなので読みにくさはない。むしろ歴史好きの人なら楽しんで読めるのではないだろうか。
全体のバランスからいうと、肝心の玄奘の西域への旅が始まるのが上巻のほぼ終わりごろ…とイントロがやたら長い印象も受ける。これはおそらく、「西遊記」のような「旅そのものがメイン」の玄奘物語がどうしても読み手の頭にあるせいだろう。実際には、旅に出てしまえばひたすら前に進むだけなので、そんなに波乱万丈があるわけでもない。通過する国の風物を書き並べても、専門家以外にはそう楽しめるものにもならないだろう。したがって、玄奘が天竺をめざした動機づけ、旅に出る前の苦労…などに重点を置いたともいえる。
ちなみに、上の紹介文にも「妖術士たちが暗躍する…云々」とあるように、歴史をきちんと書いた教科書的な記述が多いのに、同時に実際にはありえない伝奇小説的な味つけを大胆に加えているのも本書の特色である。…というか、たぶん伴野朗氏の歴史ものの特色なんだろうね。玄奘の命をねらう悪者「鬼道居士」の一味が出てくるほか、玄奘とイスラム教の開祖・マホメットが中央アジアのサマルカンドですれ違ったりもする。この二人が同時代人であること自体は史実だけど、小説の中で出会わせてしまうのは、歴史マニア的なお遊びみたいなものかもしれない。

肝心の玄奘の西域~天竺(インド)への旅については、下巻中心に詳しく描かれている。「西遊記」よりも当然リアルだし、インドに着いてからもどんな場所を訪れ、何をしたのか…など、あまり知られていない部分もわかっておもしろい。物語の中の旅程と巻頭の地図を照らし合わせながら読むと、玄奘の途方もない旅がより具体的にイメージできることだろう。
彼の旅を、現在の世界地図と重ねてみると、中国の新疆ウイグル自治区を抜け、キルギス、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン…という経路をたどって、相当大回りしてインドに入ったことになる。最終目的地はインドでも東寄りのガンジス河流域だから、距離からいえば海路を利用した東南アジアルートの方がかなり近かったはずだ。でも、玄奘は当初「密出国」という形をとらざるをえなかったので、大がかりな船は使えなかったのだろう。

楽しみながら玄奘の偉業とその時代背景を学べる一冊といえる。こういう勉強方法は楽しいね。

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2012年2月22日 (水)

美味礼讃

■「美味礼讃」 海老沢泰久 (文春文庫)

雑誌に連載されたのは1991年。手元の文庫版は1994年刊。これも再読ものですが、内容はしっかり覚えてましたね。覚えてても新鮮に読めて素晴らしい。まさに名作。

内容はこんな感じ。
「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした。その男、辻静雄の半生をえがく伝記小説。」(「BOOK」データベースより)

辻静雄氏は、日本最高峰の調理師学校といわれる辻調グループの創設者であり、同時に本格的なフランス料理を日本に初めて紹介した料理研究家(ガストロノーム)としても知られる。もともとは大阪読売新聞の記者だった辻氏が料理に関わるようになったのは、奥さんの実家が料理学校を経営していたからだ。この料理学校というのは、いわゆる花嫁修業の一つとして、若い女性に家庭料理を教えるような平凡な学校だったという。その学校がいかにして日本を、というより今や世界を代表するようなプロの調理師養成学校になったのか。本書はそのプロセスを描いたビジネスサクセスストーリーでもあり、また辻氏の人間性や美食に対する哲学にも迫った非常に奥深い内容の小説となっている。

物語はすでに成功をおさめた辻静雄氏が開くディナーパーティーのエピソードから始まる。数行読んだだけでもう止まらなくなるだろう。贅を尽くしたディナーの意味、そこに集う人々の背景や考え方、絢爛たる料理やデザートの数々、そしてホストである辻氏が抱える複雑な思い…。この一章だけで短編小説として十分成立しているような実に見事な導入である。

著者の海老沢泰久氏は、ドキュメンタリー小説の名手だけあって、物語の最後まで読み手の心を惹きつけて離さない。今では考えられないような事実も次々と出てくる。たとえば、昭和30年代ごろまで、一流ホテルの料理長クラスでさえ本当のフランス料理がどういうものか、ほとんど知らなかったのだという。当時のフランス料理は、せいぜい「舌平目のムニエル」であり、生のフォアグラもトリュフも日本では手に入らなかったのだから当然といえば当然なのだが…。しかし、辻氏は「本物の調理師を養成するにはこれではいけない」と考え、自ら本場のフランス料理を調査しに行くのである。1960年代といえば、まだ外貨持ち出し制限などもあり、海外旅行自体が庶民には手の届かなかった時代。そんな時代にフランスの各地をレンタカーで食べ歩くわけだから、そのへんの話がおもしろくないわけがない。もちろん、簡潔にして明瞭・明晰な海老沢氏の筆も冴えまくっている。内容もさることながら、著者の名文を堪能するという意味でも素晴らしい体験ができる一冊だ。

以前読んだ時には、こうしたフランス料理を探究し(後には日本料理も極める)、学校経営を成功させていく「動」の物語にまず興奮させられたのだけど、今回再読してみると、美食とは何かについて考え続けていた辻静雄氏の「静」の側面も改めて強く印象に残った。
美食とは何か。考えてみれば、私自身も本格的なフランス料理というものは食べたことがない。ホテルでの披露宴で出てきた料理がフランス料理っぽかったかな…というぐらい。たぶん今も多くの庶民がそうなんだと思う。作中でも「こんな誰も食べられないような贅沢な料理が何の役に立つというのだ?」という疑問を辻氏にぶつける人物が登場する。辻氏は「たしかにわれわれが作っている料理は無用のものだ。そのことは認めなくてはならない」という。だが、ではどうするのか…という問いには、「どうもしないよ」と答える。
こうなってくると、料理も芸術や哲学、最先端の科学の知見などに通じるものがあるような気がしてくる。日常生活にとっては一見無用のものでも、それらが世の中のどこかにあることで世界が豊かになっているもの。実用性だけで判断していると、世の中全体のキャパシティーが小さくなってしまうものだ。素晴らしい料理というのもそんなものなのかもしれない。

この物語の主人公、辻静雄氏は1993年に、そして著者の海老沢泰久氏は2009年に、それぞれ60歳と59歳で亡くなっている。素晴らしい仕事をしたのにあまりにも早すぎるといわざるをえない。

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2012年2月21日 (火)

いつか時が汝を

■「いつか時が汝を」 北方謙三 (中公文庫)

単行本が刊行されたのは1988年1月。手元にあった文庫版は1991年のものでした。再読ではありますが、はっきりいって初めて読むぐらいの感覚でしたね。

ストーリーはこんな感じ。
「アメリカ南西部。綿の実が弾け、夏の雪が降る田舎町。時計修理を請け負い、釣りとバラ作りを楽しみに静かな日々を送る私は、年に一度、特殊な仕事を引き受ける。過去を引きずりながら異国の町で暮らす男の生き様。珠玉のハードボイルド。」(「BOOK」データベースより)

アメリカを舞台にした日本人の「殺し屋」の物語。いわゆるピカレスク・ロマンということになる。本書が書かれた1980年代は、和製ハードボイルドや冒険小説などが非常な隆盛を誇った時代であり、もちろんピカレスク・ロマンもそのムーブメントの中で重要な位置を占めていたと思う。そんな黄金期の作品だけあって、本作も一気に読めるスタイリッシュなエンターテインメントだ。感情に流されることのないシンプルな文体。アメリカ内陸部の乾いた空気がページから立ち上ってくる。主人公の表の稼業でありタイトルにも通じる「時計」、趣味の「釣り」や「バラ栽培」、近所の少年との「警官ごっこ」…といった小道具類が醸し出す味わいもいい。すべてが意味ありげで、破滅的な終章に向けて淡々と緊迫感が高まっていく。まさに著者の手練の技を堪能できる。

「いつか時が汝を」というタイトルは、主人公が常に感じている、いつの日か追手が自分を殺すだろう…というある種の諦念を象徴する言葉である。彼は殺し屋なので、人を殺してきたこと自体については反省もしていないし、後悔もしていない。しかし、それが必ず報いを受ける行為だということは自覚している。暗黒の世界で生きる者の定めというべきか。

そんな本書が刊行された1980年代後半は、バブル景気の頂点に向けて国中が浮かれていた時期でもあった。世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称賛され、日本がかつてない栄光に包まれていた時代だ。そんな時期に、予期された破滅に向かって時を刻んでいくような本作の主人公はなぜ登場したのだろう。本書だけではなく、多くのハードボイルドや冒険小説が決してハッピーエンドではなかった。当時、悲劇的な結末を持つエンターテインメント小説が多くの読者に支持されたのはどうしてなのか。人々は好景気の中にどこか危うい空虚感を感じていたのだろうか。それとも現実が楽しいベクトルで満たされているので、物語の中ではそれとは正反対の気分を求めたのだろうか。

当時、私も下っ端とはいえバブル景気の真っただ中でハードボイルド小説や冒険小説を愛読していたのだけど、そのへんの感覚については定かな記憶がない。

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2012年1月12日 (木)

決壊

■「決壊」(上・下) 平野啓一郎 (新潮社)

初版は2008年6月。秋葉原で起きた無差別殺傷事件の直後に刊行されたことで話題になった本書ですが、雑誌連載は2006年11月~2008年4月。ブックオフお手頃価格で入手できたので読んでみました。

ストーリーはこんな感じ。
「2002年10月、全国で次々と犯行声明付きのバラバラ遺体が発見された。被害者は平凡な家庭を営む会社員・沢野良介。事件当夜、良介はエリート公務員である兄・崇と大阪で会っていたはずだったが…。」(「BOOK」データベースより)

著者の作品を読むのはデビュー作「日蝕」以来。これは中世ヨーロッパを舞台とした、いわゆる純文学らしい作品だったけど、本書はインターネットが普及した今日の日本における犯罪、家族、社会と個人…といったきわめて現代的な題材を扱った内容となっている。終盤まで犯罪の真犯人が分からない展開などはミステリ的でもあり、また細部まで緻密に書き込まれた長大な作品というところからは、初期の高村薫作品などを思わせるところもある。密度の高さとそのボリュームにもかかわらず一気に読ませる「力」のある小説であることは間違いないだろう。

最初にも触れたけど、本作は秋葉原の無差別殺傷事件との類似性が大きく話題になった。たしかに、ネット上での犯罪予告、社会の中で抑圧され孤立した人物が無差別的な大量殺傷を行う…という部分は、まさに秋葉原の事件を予言したものといってもいいくらいだろう。
私もそういう評判は知っていたので、まさにそれがメインの話なのだろうと思って読み始めたのだけど、実際に読み進んでいくと実は少し違っていた。確かに犯罪はとても大きな一要素ではあるのだが、本作の核になっているのは、「犯罪に巻き込まれたことによって崩壊していくある一家の物語」なのではないだろうか。

ストーリーは、沢野家の二人の息子が帰省してくる夏休みの描写から始まる。父親はすでにリタイアし、息子たちはそれぞれに独立している。長男は東大卒の優秀な国家公務員であり、次男は一般企業の会社員だが結婚して子供も生まれている。外から見ればごく「幸福そうな」一家だろう。しかし、父親は体調を崩しており、どうもそれがうつ病かもしれない…というところに、微妙な影が差している。そこから家族の人間関係の軋みが見え始める。お互いに考えていることがうまく伝わらない、相手が何を思っているのか分からないから疑心暗鬼が芽生えてくる…。
その家族の心の隙間に忍び込んだのが「悪魔」を自称する犯罪者だった。次男が事件に巻き込まれ惨殺されたことで、それまで家族の形をつなぎとめていたものが断ち切られる。すなわち、そこから始まる一家の崩壊こそが、タイトルにもなっている「決壊」ということなのではないだろうか。

この家族の崩壊が縦糸とするならば、横糸はもちろん犯罪である。この犯罪側にも、反社会的行動に一歩踏み出す「決壊」の瞬間があることは間違いない。しかし、読んだ印象としては、沢野家の崩壊ほど物語のメインではないので、圧倒的に書き込まれているという印象はなかった。むしろ、容疑者とされてしまった沢野家の長男(いちおう彼が主人公ということになるのだろう)を巡る警察の取り調べの在り方やメディアの報道姿勢、ネット上の風評…といった現代的な問題などともあわせて、家族を崩壊させる「外的要素」として描かれているような気がした。実際、犯罪も起こらず、警察の誤認捜査や嵐のようなメディアの報道やネットの風評などがなければ、沢野家はかろうじてその形を保ち続けることが出来たかもしれないのだから。

いずれにしても、学者や批評家が扱うような現代的であり、かつ大きなテーマに真正面から取り組み、しかもそれを大作のエンターテインメントとしても成立させてしまっている著者の力量には脱帽させられる。結末があまりにも徹底的であるため、救いがなさすぎるという意見もあるみたいだけど、個人的には衝撃と余韻という観点からはこれも「あり」ではないかという気がした。

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